2018年1月8日月曜日

オレンジと自転車とこころ(譚詩)

 [1990年12月作] 

  トラックにひかれた時、裕子ちゃんはあの新品のきれいな紫色の自転車には乗っていなかった。自転車はサンマートの入口のドアの近くに、裕子ちゃんらしくちゃんと、他のひとの邪魔にならないように止めてあった。
 その自転車のすぐ前で、あんなにも簡単にぺちゃりと背中をひかれて裕子ちゃんがつぶされてしまったのは、あれは、二個だか三個だかのオレンジのためだ。お店で入れてくれる白いビニールの袋から、どうしてあのオレンジが転がり出たのか、わからない。たぶん、袋の中のものを、お店から出たところできちんと整えようとしていたのじゃないかしら。あたしはそう思う。きっと、お豆腐がオレンジでつぶされないように、もっとうまく入れ直そうとしたのじゃないかしら。そしたらオレンジがこぼれ出ちゃったんだわ。用心深いはずの裕子ちゃんが、どうしてトラックが走って来るのに気付かなかったのか、どうして一心にオレンジを追ってしまったのか、あの事故の後で大人たちはみんな不思議がって話していた。あたしは、でも、とっくに息の絶えた、ふにゃふにゃな躯になった裕子ちゃんをそそくさと収めて走り去る救急車を見送りながら、なんにも不思議なことはないわ、裕子ちゃんが油断するように、そして正確にトラックの重い車輪の下で裕子ちゃんの躯がつぶされ破裂するように、あのオレンジたちがあの子を誘ったのよ、と思った。だって、オレンジたちに誘われてふらふらっと行っちゃはない人なんて、絶対いないもの。オレンジって危険だわ。あたしも一度誘われたことがある。
 お台所でテーブルに置いてあったオレンジが、あたし一人でいる時に確かに言ったのを聞いたわ。
 「いいことを教えてやるよ。いっしょに遊ぼう。ほら、そこのナイフを取りな、ぼくをふたつに切るんだ。ふたつのうちの一方はすぐに食べちゃうんだよ。もう一方はね、ほら、おへそをお出し。そこの上でじゅっと搾るんだ。やってごらん。信じられないほどいい気持ちだから。搾ったら、ジュースがお尻のほうへ全部流れ切ってしまわないうちに、さっきの同じナイフを、すぐに、すぐに、あっという暇もないほどすぐに、ぼくのジュースで濡れたおへそに思いっきり、すごい速さで突き立てるんだ。さぁ、やってごらん。ナイフを手にとるんだ。さあ、はやく
 もし、お母さんが、
 「ナイフどこに置いちゃったかしら。ほんとに物忘れが多くって困るわ。あ、あった、あった。あら、由美、どうしたの? ぼうっとしちゃって。おなかすいたんなら、オレンジ、食べてもいいわよ」
 こう言いながら、その時お台所に入ってこなかったら、あたしはほんとうにお腹にナイフを突き立ててしまっていたかもしれない。ほんとうにあの声は聞こえたのだ。あれは、絶対オレンジが誘ったのだ。
 裕子ちゃんのお通夜の時、あたしは裕子ちゃんのお母さんに自転車のことを聞いてみた。裕子ちゃんはひとりっ子だったし、自転車は子供用だったし、それにあんな事故で死んでしまった子の自転車なんて、いくらいい自転車でも誰もほしがらないから、どうするんだろう、とあたしは思っていた。あたし自身は、べつにそれをほしいと思っていたわけではなかった。
 裕子ちゃんのお母さんはハンカチで鼻や口を押さえながら、はっきりしない声で、見たくないわ、あんな自転車なんか見たくない。どこかへ持っていって。どこかへ持っていってしまって。そう言った。あたしはうれしかった。なにがうれしかったのかしら。それは、あたしがあの自転車をもらったようなことになったからではなかった。きっと、あのきれいな新品の自転車が、持ち主の裕子ちゃんも失って、お母さんからも今こんなふうに見捨てられたことが、うれしくってたまらなかったのだわ。
 あたしはすぐに裕子ちゃんの家を出て、満月に近い月の出ている夜道をサンマートのほうへ歩き出した。十月の涼しい夜で、もう暑くもなく、まだ寒くもなく、あちこちで虫が鳴いていた。なぜか、一心に翅をふるわせて道路の真ん中で鳴いているこおろぎの姿が頭の中に浮かんだ。そこにトラックが来て、つぶされてしまう様子が浮かんだ。裕子ちゃんはこおろぎがつぶれるのと同じようにつぶれて死んだのだと思って、変だけど、あたしは少し感心してしまった。
 自転車はまだサンマートの入口のドアの近くに置かれたままだった。お店のひとはたぶん、それが裕子ちゃんの自転車だということに気付いていなかっただろうけれど、自転車に手をかけて前に押し、ガシャンとスタンドを上げた時、あたしは少し不安だった。お店のひともお客たちもあたしを泥棒と思うかもしれなかったから。でも、お店のひとはいつもと同じで、ふたりでおしゃべりし合っていた。何人か入口近くにいた男のお客たちは、女の人の裸が出ている雑誌を見ていて、だれもあたしのほうは見ていなかった。
 あたしは、家へも、どこか遠くへも自転車を持っていくつもりはなかった。サンマートから少ししか離れていないところまで押していくと、あたしはそれをどぶに落とした。そこのどぶにはいつもは水が流れていない。自転車をこわすつもりも、捨てるつもりもなかった。ただ、裕子ちゃんがつぶされた道のすぐ傍のどぶに落としたかった。そうして、自転車を放っぽって置きたかった。だれかが拾って、いずれ、持っていってしまうかもしれない。でも、それまでは、道路のほこりや車の排気ガスで汚れ、雨でさび、色はだんだんはげ、タイヤももろくなっていくだろう。それがあたしにはうれしかった。あたしは自分の手では自転車を壊しもしないし、捨てもしないし、もらってしまいもしない。自転車は、だれか通りかかった人に持っていかれてしまうか、そうでなければ、雨風でしだいにだめになっていってしまうかするのだ。あたしでないものが、だれか他の人か、それとも時間か、雨風が、裕子ちゃんの新品のきれいなこの自転車を、いつかは、あたしの視野からも裕子ちゃんのお母さんの視野からも奪ってしまうのだ。あたしにはそれがうれしかった。とくに、さびてぼろぼろになり、きれいな紫色がすっかりはげ落ちてしまった様子を想像すると、涙がこみ上げてくるほど心が高鳴るのだった。
 裕子ちゃんのお葬式が行われた次の日から、どぶに落とした自転車をたびあるごとに見るのが、あたしのすてきな日課になった。毎日毎日が雨降りになって、道路を走っていく車のあげるしぶきにすっかり汚れて、車輪のタイヤは朝も夜も流れるどぶの水に腐りはじめる。あたしはそれを期待していたけれど、そうはならなかった。いいお天気が続いた。道路はいつもいつも車が絶えることがないから、もちろん日に日に自転車は汚れてはいったけれど、あたしの期待するほどではなかった。車のたてるほこりを何日か浴び続けても、自転車はきれいなままに見え、紫色も鮮やかなままだった。裕子ちゃんはやさしくて、親切で、かわいい子だったけれど、自転車のこういう様子を見てあたしは、裕子ちゃんのたましいはほんとうにきれいだったのかもしれない、と思った。生きていても、死んでいても、裕子ちゃんはきれいなのかもしれない。だから、天気もいいままだし、自転車もまだまだきれいなままなのかもしれない、と思った。でも、同時にこうも思った。こうしたことはみんな、あたしが考えているだけなのだわ。裕子ちゃんがきれいなたましいを持っていたなんて考えても、裕子ちゃんにはぜんぜん関係ないんだわ、って。
 裕子ちゃんが死んで、あたしが自転車をどぶに落としてから二週間が経った。夕暮れ、あたしは用事で学校から遅く帰ってきた。かばんを家に置くとすぐにまた外へ出て、いつもそうしていたように、その日もサンマートの近くに行って、コンクリートの台のようなところに座って、自転車を見ていた。そうやって見ていても、自転車が汚れてだめになっていく様子が見えるわけではなかったけれど、なぜかそうしていたかった。なにかが見えるように感じるのだった。目には見えなくても、いま、ほんとうは見えているのだ、きれいなものも、鮮やかなものも、新しいものも、すてきなものも、かたちも、色も、みんな汚れ、こわれ、腐り、古ぼけ、使いものにならなくなり、くずれて散っていくのだ、ほんとうはそれが見えているのだ--そう思うと、あたしはわくわくして、自分自身が自動車の排気ガスやほこりをいっぱいかぶっていることも忘れてしまうのだった。
 空は晴れわたっていたけれど、西の低いところには美しいやわらかそうな雲が集まっていて、絵のようだった。太陽は、さわりでもしたらぶるんと揺れそうなほどで、熟しきったなにかの赤い実のようだった。オレンジのようではなかった。よかった、あたしは誘惑されないわ、そう思って自転車のほうへ目を移した。
 だれか、子どもが自転車をどぶから引き上げようとしていた。見覚えのある子だ。学校で隣りのクラスにいる花岡くんだった。花岡くんはだいぶ前、あたしが道で転んだ時に助けてくれたことがある。わざわざ水道のあるところまで連れて来て、あたしの足を洗ってくれた。あたしは男の子からそんな親切にされたのははじめてだったので、どうしたらいいかわからなかった。うれしかった。花岡くんはだれにでも親切だから、たまたまあたしが転んだときにも助けてくれたのだと思うけれど、あたしには特別にもっと親切にしてくれたような気がした。足の傷口についた土や血をきれいに洗い落としてくれてから、あたしの顔を見上げて微笑みながら、「もう大丈夫だよ。泣くなよな。家で薬つけろよな」と言ってくれた。
 花岡くんは自転車をどぶから引き上げた。そうして、ハンドルを押したり、前や後ろのタイヤを見たりしながら、「なあんだ、まだ新品じゃないか」とつぶやいた。今でもこのことが不思議に思えるのだけど、自動車がかなり速く次々と何台も走り過ぎていってうるさかったのに、あたしには確かに花岡くんがそうつぶやいたように聞こえたのだ。自転車をどうするつもりかしら。そう思ってあたしは立ちかけたけど、でも、いま声をかけると花岡くんが気まずく思うかもしれないと思った。中腰のまま少しまよって、変なかっこうになってしまった。
 花岡君のほうは、あたしがそうしている間に、サドルをばたばたはたくと、するっとまたいで乗ってしまった。そして、こぎはじめる。あ、行っちゃう。あたしは小さな声を出した。
 その瞬間にすべてが起こったのだった。自転車に乗ったまま花岡くんの躯が大きく傾いて道に倒れていった。自転車の車輪がなにかで横にすべったか、ハンドルの根本がゆるんでいて、それでバランスを失ったかしたようだった。ほとんど同時に、大きな恐ろしいものがあたしの傍をすごい速さで過ぎていくのを感じた。濃い緑色のその大きな恐ろしい鉄の塊は、あたしから幾らも離れていない花岡くんの上を、造作もなく過ぎてゆき、少し離れたところでようやく止まった。踏みつぶされた自転車の音と、なんとも口真似できないような花岡君の躯の音が、あたしの耳に焼き付いた。
 ひとの躯からあれほどたくさんの血が出たのを、それまであたしは見たことがない。お腹が横にあんなにきれいに裂けて、白い腸がほとんど一直線に長く飛んで、どぶの中にその先が落ちているのも見たことがない。頭というものがあんなにもぱっくりと口を開けてしまえるもので、少し赤インクで汚れでもしたカリフラワーのように、脳があんなにも簡単に転がり出てしまうことがあるということも、それまで知らなかった。顔のあたりに、赤いてるてる坊主のように両目が飛び出してしまった様子も見たことがなかった。あたしの見たことがなかったもの、知らなかったものだけが、道路のその場所に花開いていた。躯というよりも、つぶれやすいいろいろなものをつめてあった大きな鞄がはじけてしまった後のようだった。
 あちこちから人が集まってきた。何人集まってこようと、誰が来ようと、もうどうしようもなかった。集まってくる一方で、この光景を見るとすぐに顔を青くして離れていく人たちもいた。「見ないほうがいい。戻れ、戻れ」と、大手をひろげて道路に立ちはだかる男の人もいた。
「あら、由美ちゃん見てたの?、あなた? 見ちゃったのおいでかわいそうに、口もきけなくなっちゃって、この子ったら… なんてひどいこと!」
 家の近所の松本さんのおばさんだった。こう言いながら、あたしの目を手のひらで覆って、あたしを引っぱっていく。おばさんの手の指の隙間から、ちょうど、西の夕方の大きな真っ赤な太陽が見えた。血ほどは赤くないな、と、ふと思った。その時だ、あたしがほんとうに大変なものを見たのは。
 あたしはおばさんの手を振りほどき、あたしを事故の場所から離れたところに連れていこうとしてなおも手が肩にまつわり付いてくるのをはらいながら、西の太陽のほうをよく見つめ直した。
 裕子ちゃんが見える。それに、自転車も、花岡くんも見える。裕子ちゃんと花岡くんは、ふたりで仲よさそうに自転車のハンドルに手をかけて、自転車の両わきに立ってそれを押していくのだ。太陽のほうへ宙を歩いていく。仲よく話しながら、まるで、太陽のほうへゆっくり帰ってでもいくようだ。
 躯を揺すっておばさんの手をはらい続けながら、後から後からこみ上げてくる涙で、あたしはもう何も見えなくなってしまっていた。目は開いていたので、太陽の赤が、かたちを失って、ただただ赤い色のひろがりとなって見えるばかりだった。
 「幸福」というものが世の中には確かに存在するのだ、いま自分が見たのはその「幸福」そのものなのだ、それをはっきりと表すものなんだ。そんなことを感じながら、あたしは涙を流し続けた。泣き続けながら、あたし自身はその「幸福」とは今は何の関係もなく、できることといえば、それを眺めることだけなのだ、と思った。裕子ちゃんのあの紫色の自転車にあたしがやったことは、あたし自身の「幸福」に対して自分自身がやったことだったのだ。
 自分の「幸福」に対してしてしまったことは、たぶん、取り返しがつかないことではないだろう、と思えた。けれども、なんという心の貧しさだろう、なんという荒涼とした心だろう。ああ、あたしはこれからずっとずっと、こんなあたしの心といっしょに生きていかなければならないんだ。あたしがこの心そのものなんだ。けっして逃げることなどできないんだ 
 涙はなおも出て、いっこうに止まる気配もなかった。頬をつたって首に流れたり、腕に落ちる時、涙は温かかった。この温かいものだけは、あたしのものの中でたったひとつ信じられるかもしれない… 無理にそう思いながら、あたしはあたしを、一生懸命に支えようとしていた。

  (終)



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