いま使っている銀色のやかんは
ステンレス製なのだろうと思うが
ずいぶん長く使っているので
まわりに茶色く焦げついた汚れが付いている
なんどか洗ってみたので
汚れが落ちるのはわかっているが
ぜんぶを落しつくすのは難儀なことで
小一時間ほどかけても
どこかに汚れは残ってしまう
もちろんはじめはピカピカの銀色だったが
じぶんの生活にこれが入ってきたのは
いつのことだっただろうかと
ときどき思いながら湯を沸かす
ひとりで住んでいた小さな部屋では
青い琺瑯の胴に赤い琺瑯の蓋
蓋の丸い取っ手や柄は黒い耐熱プラスチックの
ちょっときれいなやかんを使っていた
そこを引き払う時にこのやかんは
近くにいたエレーヌにあげてしまったが
彼女はその後あれを死ぬまで使って
死んだ時にはだれかが形見の品として
持っていってしまったはず
こちらはこちらで引っ越した後は
今も使っている銀色のやかんに替えたが
さてこれがいつ手元にやってきたのか
あまりはっきりとは思い出せないでいる
妻が持ってきたのだったかもしれない
ふたりで新たに買ったのだったかもしれない
なにせふたり分の家具を三軒茶屋に集結させ
冷蔵庫も二台あったしテレビも二台あったし
場所を取るソファまでも二台あったので
どこかのガレージみたいな生活のはじまりだったが
やかんはエレーヌにあげてしまったのだから
こればかりはひとつしかなかったはず
エレーヌのほうにもやかんはあったはずだが
それはどうなったのかと思い出してみると
たぶん空焚きをくり返して底が薄くなっていて
そのためちょうどよいということで捨て
私のやかんを使わせることにしたのではなかったか
やかんというのはときどき空焚きしてしまうもので
それをくり返すと底の金属がぺなぺなになっていく
たぶんアルミかアルマイトかのやかんだったと思うが
それはいっしょにエレーヌと暮らした池の上から
代田までをずっと付き添ってきた金物で
それにはそれの歴史がちゃんとあるのだった
エレーヌにあげた琺瑯引きのやかんは
下北沢の大丸ピーコックで買ったのを覚えている
昔は2階がホームセンター部門になっていて
1991年ごろに住まいとべつに書斎を借りる際に
ソファやテレビデオや姿見や食器などとともに
ちょっと楽しげなものを買ってみたのだった
ソファやテレビデオはもう捨ててしまったが
姿見も食器もまだまだ健在で壊れる様子さえない
物というのはほんとうによく保つものだと思う
やかんだって物持ちのいい私が使い続けていれば
今でもまだちゃんと手元にあったと思うのだが
エレーヌにあげてしまったので彼女の死後に
人手に渡っていってしまった
持っていったのはジャクリーヌだと思う
エレーヌの同僚のギリシア系フランス人で
我が儘で失礼で傲岸で不愉快なフランス語教師だったが
まだ東京のどこかで教えているとは思う
エレーヌの遺品をあれこれと持っていったのは
こちらも助かるのでべつにかまわないが
持っていったといっても私が配送する手間も
配送料も払ってやったわけで
布団だの電話機だの何冊もの分厚い本だの
ダウンコートなどのたくさんの衣類だの
それらを送るとなるとちょっとは値が張るし
なによりずいぶんと面倒でもあった
困ったのはエレーヌがずっと使っていた
古いテーブルがどうしてもほしいというので
彼女がフランスに帰ったりギリシアに帰ったり
また日本に戻ってきたりするあいだに
何ヶ月もエレーヌの住居を私が借りたままに
しておかなくてはならなかったこと
ひと月10万円の家賃だったので
エレーヌ亡き後は私が払い続けなくてはならず
ジャクリーヌのこのテーブルほしさのために
数ヶ月を延長して借り続けていたのだから
40万ほどは彼女のために出て行ったことになる
ようやく引き取れそうな状態になったらしいので
それではいつ送ったらいいだろうかと聞いたら
ジャクリーヌはもうあれは要らないと言い始めた
これには私も完全に頭に来たものだったが
なんどとなく議論してこのフランス女をわかっているので
それではと不要品回収の車に引き取って貰った
こう一行で書くと古物払いも楽なようだが
業者選びや日時決定や住居の道路の柵開けのお願いや
いろいろと面倒なことの堆積の末に実現したこと
それから数ヶ月してジャクリーヌから連絡があって
あのテーブルやっぱりほしいのだけれど
いつ送ってくれる?と言ってきた
あれはもう捨てちゃったよと伝えると
あんないいものを捨てちゃうなんて
信じられないなどとぶつくさ言い出した
あんなものはもうなかなか手に入らないのに
とも言うのであんなのはどこにでもあった古物で
そもそも一度も家具を買ったことのないエレーヌが
帰国する留学生の友人たちから引き取った家具の
ひとつに過ぎなかったんだよと伝えたが
あんないいものを捨てるなんて
あんないいものを……と言い続けていた
このあたりを最後にジャクリーヌとは連絡を取らなくなり
年賀はがき程度をやりとりしていたくらいだったが
それもやがてむこうから返信が来なくなって
音沙汰がなくなっていった
五年以上した頃に共通の知りあいから
ジャクリーヌさんから留守電が入っていたんだけど
そちらにも連絡が来た?と話が来たが
こちらにはなんの音沙汰もないままで終わっていった
つき合わないほうがいい類のひとというのはいるもので
ジャクリーヌというのはその最たるものだったが
私が選んで買ってけっこう大事にしていたやかんのやつ
あんな女のところに行ってしまって
苦労することになってしまったかな
いまでも苦労しているのかな
などと思うことはときどきある