2020年4月6日月曜日

いなかったが、



新型コロナウイルスのせいで、千鳥ヶ淵緑道では、桜の開花期には恒例のあの提灯吊るしが今年はつけられず、夕暮れともなると、空気のなかに闇が染み上がってくるのが見どころのひとつとなった
桜の頃の冷えていく空気は、徐々に親しみつつ近しくなっていきながら、まだ体を許してくれていない、誰にも似ていない唯一無二の若い若い若い娘の肌のようだが、時間の過ぎゆきとともにすこしずつ冷えていくさまが、こちらへの娘の気持ちの微妙な一瞬の離れぐあいのようでもあり、それがまた、麗しい。
陽がすっかり落ちて暗くなってしまうと、灯でうすぼんやりと紅く照らされたりすることのない、わかりやすさの微塵もない、闇の桜である。
派手に目を引くような美しさはなく、そもそも俗世に好まれるようなぐあいには美しくなく、闇の殊に深いところでは、焼いた後の骨片を思わせるはかなさが淡く白さを懐旧するかのように宙に無数に浮いている。
立ち止まって見ていると、こちらの霊が引っぱり出されて、はっきりと見えないながらたしかに無数に其処其処にある桜の花々に交じっていき、じぶんの霊顔にふつふつと花びらがやさしい穴を無数に開けていくようである。全身にたくさんの細かい金剛石の弾丸による銃撃などを受けて死んでいった兵士の物語などを、雑踏する東京のあちこちの駅の階段を上る時などよく空想するが、兵士にとっては長く充実した人生を生きるよりもそんな瞬間に恵まれるほうが、のちのちの幾十の転生の後にもなおも忘れがたい、さぞや小気味よい快楽の至高の瞬間となるであろうと思われ、美と逸楽の極致たる戦闘のかかる空想なるものがいつ何時でもわが脳内に易々と降下してくることの麗しさよ、と思われてならないが、闇のなかで圧倒的な数量で見せつけられる桜花は、他ならぬわたし自身が闇の奥から銃撃してくる桜たちに砕かれ、散らされて、類い稀なる滅びを恵まれるかのように思わせる。
北の丸公園の小山を望む千鳥ヶ淵緑道ボート場のあたりで、いつもの年と違う鬱然たる暗い盛り上がりとなっている対岸を眺めながら、誰も来ないものだから、すっかり身体など分解するに任せて脳も蕩けるままにさせていたら、暗い顔のところどころ、頬のあたりや鼻の稜線などだけわずかに光を受けて見える、しかし、まるでわだかまった香りの凝集のような、いわばかたちも質量もない魅力の精だけのような、闇色の着物を着た娘が柵の一所に立っていなかった。
いなかったが、顎の稜線の美しい娘で、首もミネラルウォーターのペットボトルのように細いのが美しい蛇を思わせ、抱きたい、などとは思わなかったが、この娘そのものに現下になってしまいたい、とあまりに深く煩悶した。いなかったが、娘のいたかのような場所から桜の花びらがひとしきり吹き寄せて、わたしの唇に、ひったり、ひったり、と付いた。




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