呼吸の
とりわけ“息”が
他人に及ばぬように
との異様な
簒奪者の命令じみたものが巷の空気の中に
毛細血管のように蔓延るよう
画策された時期を
ギリシア語のpneumaと
ラテン語のsupiritusに通じさせながら
ヘブライ語の
気息、風、魂を意味するルーアハruahに寄りつつ
レヴィナスが展開した呼吸論
気息論に
わたしは思いを馳せていた
“他人”によって
“わたし”の中に“息”が吹き込まれ
“わたし”のほうは
“息”を吐き出すことによって
“他人”にみずからを開き
与えるのが
“呼吸”だというのを踏まえて
レヴィナスは言う
「ありうる限り
もっとも長い息、それが精神(esprit)である
人間とは中断することなく息を吸い込み
永遠に息を吐き出しうる
もっとも息の長い生き物ではないのか」*
彼によれば
人間は
“息”が切れるほどに吸い込み
結集ではなく
みずからを消耗(consumation)させ
憔悴(consumation)させ
燃え尽き(consumation)させ
老衰(consumation)させ
蕩尽(consumation)させ
滅ぼし(consumation)
核分裂しながら
“存在”の
彼方を
語ろうとする・・・・・・
『旧約聖書』では
人間の生命原理そのものでもある
ルーアハruahへの
明白な侮蔑
レヴィナスの呼吸論や気息論への
傲岸不遜な毀損行為は
そのまま
“存在”の
彼方
からの人間の切り離しの企みであると
感じられていた
*エマニュエル・レヴィナス『存在するとは別の仕方で あるいは存在することの彼方へ』(合田正人訳)
Emmanuel Levinas Autrement qu'être ou au-delà de l'essence 1974.
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