2024年12月15日日曜日

『天井桟敷の人々』

 

 

 

1942年から1943年に撮影され

1945年に完成された

マルセル・カルネの古い映画『天井桟敷の人々』を

ひさしぶりに

急がずのんびりと数日にわたって見たら

面白すぎて

なんだか気分がよくなった

 

フランス映画史上の大傑作とか言われるが

そういうレッテル貼りに今さら加勢するつもりも必要もなく

じつはどうかな?

見直すとつまらないんじゃないかな?

などと思いながら見たものだから

面白く感じたのは

逆に意外だった

 

もちろん

主人公のパントマイム役者バティストの

バカみたいな恋狂いは

さすがに突拍子もなくてどうかしちゃっているし

大げさ過ぎるのだが

そんなところの不自然さが気にならないくらい

映画の中の登場人物たちの性格も動き方も楽しくて

この楽しさはどこから来るものだろう?と考えてみたら

やっぱりバルザックやスタンダールを読む時の楽しさだと思い当たった

フランス19世紀前半の社会描写に触れる楽しさで

これはフランス19世紀“前半”の文学好きにはビリビリと来る

フローベールやゾラの時代ではない必要があるのだ

この映画をつまらないとか堪えがたいとかバカらしいとか

そんなふうに評価する人も少なくないようで

それはそれでわかるのでもあるが

芝居がかった大げさな演技や物語まわしやセリフの楽しみ方を

たくさん歌舞伎でも見て十分に身につけていれば

これほど面白い映画もないことになるだろう

出ている俳優たちに一流の舞台俳優たちが多く

かれらの舞台がかったしゃべりぐあいがすごく楽しいのだが

現代のリアル一辺倒のしゃべり方にしか慣れていないと

それらを面白がることはできないのかもしれない

 

なにも『天井桟敷の人々』論を始めたいのではなくて

今回見直して楽しく驚かされたのが

この映画が19世紀の実在の人物たちを出してきていたことだった

ごく若い時にこの映画を見た際には

無知もあってこのことに全く気づかず

どの人物もただの架空の創作上の人物だろうと思って

ストーリーや若干の映画効果だけを見てとって

通過してしまっていた

歳を重ねつつ処世の役に立たない小さな知識を脳髄に溜め込むのも

たまには知的娯楽の役に立つのである

 

実在の人物たちというのは

まず

なんといっても

19世紀の名優フレデリック・ルメートル(Frédérick Lemaître)で

1幕では

女たらしの元気のいい駆け出し俳優として出してきている

演じているのがピエール・ブラッスールで

もちろん名優として有名だが

『天井桟敷の人々』を見直していちばん収穫だったのは

生き生きとした彼の演技っぷりをたっぷり見られたことだった

ルメートルがヴィクトル・ユゴーやアレクサンドル・デュマの演劇上演に

重要な役割を演じたことは歴史的な事実だが

20世紀のブラッスールのほうも

ピカソやコクトーやマックス・ジャコブと親しく

特にルイ・アラゴンは彼をシュルレアリストのグループに引き込んだ

ブラッスールはそこでアンドレ・ブルトンやポール・エリュアール

バンジャマン・ペレやレイモン・クノーらと知りあい

さらにはロベール・デスノスやジャック・プレヴェールとも知りあって

プレヴェールからはとりわけ大きな影響を受けることになる

『天井桟敷の人々』もこの希有の詩人プレヴェールの脚本とセリフによる

 

やはり20世紀の大俳優であるジャン=ルイ・バローの演じる

常軌を逸した恋狂いのバティストも

19世紀に実在した俳優のジャン=ガスパール・ドゥビュロ

Jean-Gaspard Deburau である

この映画にも登場するフュナンビュル座で

1820年から1846年に死ぬまでパントマイムを演じ一世を風靡した

彼が創造した「ピエロ」というキャラクターは

後の時代のサーカスなどのピエロとなって世界に広がっていった

彼の死後は息子のシャルルがこの仕事を引き継ぎ

シャルルはパントマイムの学校を創設していくことになるが

これは20世紀の有名なマルセル・マルソーに繋がっていくことになる

 

実在の人物として最も注目すべきは

代書屋で犯罪者で

かつ演劇創作を志している

ピエール・フランソワ・ラスネール(Pierre François Lacenaire)だろう

少年時代から大読書家で優秀だったラスネールは

ブルジョワ社会に対する大反抗家でもあった

どんな仕事をしても長続きせず

軍隊生活も続かないというところは

後のトリュフォーの創造した人物アントワーヌ・ドワネルを思わせるが

ラスネールにおいては自分が社会の不正と偽善の犠牲者であるとし

ブルジョワ社会に徹底的な報復を行う権利があると結論づける

そうして社会の基盤や特権階級の「金持ち連中」への抗議を行うべく

彼の『回想録』の言葉によれば「社会の災厄」となる決意をした

まずはフランソワ・ヴィドック(Eugène François Vidocq)の

回想録を読んで犯罪研究を始めたが

このヴィドックという人物は青年時代に脱走兵として逮捕され

牢獄で多数の重罪犯たちと知りあって闇社会を知り尽くし

犯罪のあらゆる手口を身につけて脱獄と変装の達人となり

出獄後はパリ警察の手先として密偵となって手柄を立て

国家警察パリ地区犯罪捜査局を創設するに至って初代局長になるのだが

なんとこの捜査局がパリ警察庁となっていくのだ

バルザックが複数の小説に登場させる神出鬼没の謎の男ヴォートランは

ヴィドックをモデルにしており

バルザックは『ゴリオ爺さん』執筆にあたってヴィドックに会っている

ユゴーの『レ・ミゼラブル』のジャン・バルジャンやジャヴェールも

ヴィドックから想を得たと言われるし

アラン・ポーやコナン・ドイルの創作にも影響を与えたと言われる

ラスネールが模範としたのはこのヴィドックで

犯罪者たちの組織性や掟についてイメージをつかんだり

軽い犯罪をあえて犯して逮捕されて監獄に収監され

懲役期間中に犯罪者たちの手口や隠語を習得した

そうして窃盗や詐欺や手形偽造から殺人に至る諸々の犯罪を

華やかに繰り広げていくことになる

 

ラスネールは逮捕された後の裁判で

犯罪者らしからぬ知的な優しいダンディーとして注目を集めた

フロックコートにビロードの襟飾りをつけ

ブルジョワそのものの洗練された身だしなみを保った

無罪など主張せずに共犯者と自分の犯罪を詳細に語り続け

死刑になることを求めた

ギロチン刑になることが決まってからの2ヶ月は

新聞に詩や歌を発表したり

列をなして彼に会いに来る人々と哲学論や文学論を交わした

品性のあるブルジョワ人がブルジョワ社会を否定して

意図的に明晰な頭で犯罪を以てブルジョワ社会を攻撃したところに

ラスネールという存在の特色があった

 

ギロチンによる断頭は183619日朝に行われたが

彼の存在は同時代の作家たちに大きな衝撃を与えた

バルザックやスタンダールやユゴーやデュマやウージェーヌ・シューが

ラスネールに言及しており

テオフィル・ゴーチェは『ラスネール』という詩まで書いている

フローベールはラスネールを哲学者として讃え

アンドレ・ブルトンは『黒いユーモア選集』に

ラスネールの詩「ある死刑囚の夢」を収録し

アルベール・カミュはボードレールとラスネールを

ダンディスムの体表者として見なして

『反抗的人間』の中で「ダンディーの犯行」として言及した

不正に満ちた社会の法と倫理ばかりか

そのような社会を許している神への異議申し立てをしたヒーローとして

ラスネールを永遠化したといえる

 

とにもかくにも

『天井桟敷の人々』という古い映画が

どれほど

19世紀の驚くべき傑物たちへの誘いとなってくれているか

この程度にメモするだけでも

ちょっとはわかるというものだろう

 

劇団「天井桟敷」を結成し

1969年に渋谷の並木橋に劇場「天井桟敷館」を開いた寺山修司は

たぶんこの程度のことはちゃんと知っていて

フレデリック・ルメートルのことも

ジャン=ガスパール・ドゥビュロのことも

ピエール・フランソワ・ラスネールのことも

わかっていたのではあるまいか

 

寺山修司の場合は

のぞきをしたとかしないとか

住居侵入をしたとかで

渋谷警察署に逮捕された程度なので

犯罪者としては

ラスネールには遠く及ばなかったのだが

演劇家として

また

衝撃を与えるという意味での文化的犯罪者としては

ラスネールを

大きく凌駕していた





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