中島みゆきが
むかし
こんなふうに歌っていた
海を見たといっても
テレビのなかだけ
今夜じゅうに行ってこれる
海はどこだろう
ひとの流れのなかで
そっと
時刻表を見上げる
いまなら
こんなふうに言い換える
若者も
いるだろうか
海を見たといっても
スマホのなかだけ
寝落ちする前に終えられる
動画はどれだろう
タイムラインの流れのなかで
おちつきなく
よさそうなのをさがす
時刻表
といえば
寺山修司は
列車時刻表には
私の乗る予定のない列車名が
並んでいる
と書いた
いまのわたしなら
「スマホ」と
「並んでいる」を使って
こんなふうに
書いてみようか
スマホでSNSを見ていたら
また
バッグの広告がいっぱい
さんざん
バッグなら買いあさり
すくなくとも
もう
三つだの
五つだのは
じぶんに最良のバッグを
持っているので
これでもか
これでもか
と飛び込んでくる広告には
まったく
動かされない
けれど
生まれつきのバッグ好きだから
バッグの広告は
いちいち
見入ってしまう
とはいえ
むかし
寺山修司が時刻表について書いたように
SNSのバッグ広告には
私の使う予定のないバッグが
並んでいる
と書いては
おこうか
バッグだけではない
ネット広告は
あの手
この手で
こちらの好みそうなものを
わんさか見せつけてくるけれど
おおかたのものは
じぶんの使う予定のない
必要もない
買いもしない
に違いない
もの
もっとも
“広告見るの大好き人”なので
それでも
じぶんの使う予定のないあれこれを
見て
これも時代の
早わかりかなと
けっこう楽しんでは
しまう
まるで
お祭りに行くたび
ぜったいに買うことのない
屋台の粉物をひやかして
楽しんだり
うまく金魚を掬えない
現代っ子や
現代親のしぐさを
楽しんだり
まるで
神社に詣でる時に
ぜったいに
お金を入れることのない
賽銭箱の近くまで
寄るには
寄っていってみたり
するように
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