仏道を追究した白居易だけあって
この世のいざこざや争いを
このように歌っている
蝸牛の角上 何事をか争う
石火の光中 此の身を寄す
かたつむりの角の上のような小さな世界で
いったい
なにを争っているのか
火打ち石の火のような短い人生に
かりそめの身を寄せているだけだというのに
至言であろう
蝸牛のところは
荘子の則陽篇の寓話を用いているが
それがわからなくても
地球そのものが
蝸牛の角上という認識は
現代なら
誰もが持てる
白居易は
この後
こう続ける
富みに随い 貧しきに随いて しばらく歓楽せよ
口を開きて笑わざるは これ痴人
富んでいるならば富んでいるなりに
貧しければ貧しいなりに
まずは人生を楽しめ
口を開いて大笑いしない者など
愚か者だ
これだけの普遍的な内容が
七言絶句で語り尽くされてしまうのだから
中国詩こそが詩だと
つくづく思わされるわけだ
近代詩など
水増しされた薄い言葉で誤魔化された
冗長なだけの
安酒に感じられてならない
全体を見直しておこう
對酒
蝸牛角上爭何事
石火光中寄此身
随富髄貧且歡樂
不開口笑是癡人
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