2024年12月12日木曜日

石火光中寄此身

 

 

 

仏道を追究した白居易だけあって

この世のいざこざや争いを

このように歌っている

 

蝸牛の角上 何事をか争う

石火の光中 此の身を寄す

 

かたつむりの角の上のような小さな世界で

いったい

なにを争っているのか

火打ち石の火のような短い人生に

かりそめの身を寄せているだけだというのに

 

至言であろう

蝸牛のところは

荘子の則陽篇の寓話を用いているが

それがわからなくても

地球そのものが

蝸牛の角上という認識は

現代なら

誰もが持てる

 

白居易は

この後

こう続ける

 

富みに随い 貧しきに随いて しばらく歓楽せよ

口を開きて笑わざるは これ痴人

 

富んでいるならば富んでいるなりに

貧しければ貧しいなりに

まずは人生を楽しめ

口を開いて大笑いしない者など

愚か者だ

 

これだけの普遍的な内容が

七言絶句で語り尽くされてしまうのだから

中国詩こそが詩だと

つくづく思わされるわけだ

近代詩など

水増しされた薄い言葉で誤魔化された

冗長なだけの

安酒に感じられてならない

 

全体を見直しておこう

 

對酒

 

蝸牛角上爭何事

石火光中寄此身

随富髄貧且歡樂

不開口笑是癡人

 





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