2024年12月19日木曜日

萩原朔太郎の「悲しい新宿」

 

 


 

新宿を初めて見た時、

田圃の中に建設された、一夜作りの大都會を見るやうな氣がした。

周圍は眞闇の田舍道で、田圃の中に蛙が鳴いてる。

そんな荒寥とした曠野の中に、

五階七階のビルヂングがそびえ立つて、

悲しい田舍の花火のやうに、赤や青やのネオンサインが點つて居る。

さうして眞黒の群衆が、何十萬とも數知れずに押し合ひながら、

お玉杓子のやうに行列して居る。

悲しい市街の風景である。

1934年の新宿について

萩原朔太郎が

こう語っている

 

「一夜作りの大都會を見るやうな氣がした」とは

うまく言っているな

と思う

 

今の新宿にも

こんな雰囲気は消えずに漂っていて

それを感じられるか

感じられずに

ただ

きらびやかな都会と見るか

ひとりひとりの人生は

ここで

大きく別れるように感じる

 

ただ

きらびやかな都会と見るひとが

浅薄で

むなしい生き方をしている

とも思わない

そのほうが

どこまで行っても

浮薄でむなしくしか廻らない

この世では

いいかもしれない

幸せかもしれない

 

この文

萩原朔太郎の「悲しい新宿」は名文で

やはり

詩歌だけのひとでは

なかったのが

読んでいてよくわかる

 

詩人も歌人も俳人も

独特の様式を演じつつ書くので

散文家たちや

読むだけの一般人たちのほうから見れば

どこか不自由な

偏狭な

かたよった

ぎこちない日本語使いしかできない人たちのように

見えることもあるが

たいていは

文を書かせれば随筆や小説程度は

けっこうすらすらと書けるひとたちである

韻文の様式を

わざわざ背負い込んだりして

ご苦労なことだと思わされることも

しばしば

ある

 

朔太郎に添いながら

彼の時代の

いや

新宿の永遠のさびしさや悲しさを

もう少し

見ておこう


だが慣れるにしたがつて、

だんだんかうした新宿が嫌ひになつた。

新宿の數多いビルヂングは、何かの張子細工のやうに見えるし、

アスハルトの街路の上を無限に續く肥料車が行列して居る。

歩いてる人間まで田舍臭く薄ぎたない。

新宿ほどにも人出が多くて、

新宿ほどにも非近代的な所はなからう。

昔私が子供の時、新宿は街道筋の宿場であつて、

白く埃つぽい田舍の街路が續いて居た。

道の兩側に女郎屋が竝び、子供心の好奇心で覗いて歩いた。

その女郎屋の印象は、私の故郷上州で唄ふ盆踊りの歌

「鈴木主水といふ侍は、女房子供のあるその中で、

今日も明日もと女郎買ひばかり。」といふ歌の

田舍めいた侘しい旋律を思ひ出させた。

そんな田舍臭い百姓歌の主人公が、

灯ともし頃に羽織をきて、

新宿の宿場を漂泊して居るやうな氣がした。

そしてこの侘しい印象は、ネオンサインの輝く今の新宿にも、

不思議に依然として殘されて居るのである。


新宿の或る居酒屋で、商人たちの話を聞いて悲しくなつた。

皆が口をそろへて言つてることは、

百貨店の繁榮が小賣商人を餓死させると言ふことだつた。

少し醉の※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つて來た連中は、

○○や○○等の百貨店を燒打ちして、

すべての高層建築を新宿から一掃しろと主張して居る。

それから最後の結論として、皆が一緒に歎息したことは、

昔の馬グソ臭い新宿情趣が、

近代文明の爲に次第に廢滅して行くといふことだつた。

蓄音機はのべつに浪花節をかけ通して居た。

私は妙に悲しくなつて、酒も飮まずに出てしまつた。

あのビルヂングの林立する新宿の町々に、

かうした多くの人物が生棲してゐることを考へ、

都會の隅々に吹きめぐる秋風の蕭條といふ響を聞いた。

  新宿で好きなのは、

あの淀橋から煙草工場の方へ出る青梅街道の通である。

停車場のガードをくぐつて坂を登ると、

暗い煤ぼけた古道具や、安物の足袋など店に竝べた、

昔の宿場そつくりの町がある。

街路は冬のやうに白つちやけて、

昔ながらの大道店が、

ガマの油や、オツトセイや、古着類や、縞蛇や、

得體のわからぬ壞れた金物類などを賣つてる。

歩いてゐる人たちも、一樣に皆黒いトンビを着て、

田舍者の煤ぼけた樣子をして居る。

秋の日の侘しく散らばふ青梅街道。

此處には昔ながらの新宿が現存して居る。

しかもガードを一つ距てて、

淀橋の向ふに二幸や三越のビルヂングが壘立し、

空には青い廣告風船があがつて居る。

何といふ悲しい景色だらう。

新宿については

わたしも

伊勢丹しかめぼしいものがない時代の

東口の光景を見ているし

廃止作業中の淀橋浄水場の風景も眺めたことがある

 

朔太郎が描いているのは

もちろんそれよりもはるかに古い新宿だが

彼の文章から思うかぎり

その時代には

つくづく

生まれていなくてよかったと感じる

 

日本の風景には

時代を問わず

底知れぬ哀しさやわびしさが沁みていて

わたしは嫌だが

それでもわたしがつき合ってきた時代のどれもが

浮薄ながらもわあわあ賑わっていて

それほど嫌な時代というものはなかった

 

ことのほか

重くわびしい時代を

繊細な神経で

日本語を抱えて

よくまあ

忍んで生きてくださったと

朔太郎さんのことを

思う





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