2017年10月31日火曜日

替えるんだけどなあ ぼくだったら

 
インド料理屋が近くにあって
スルターンという
御大層な名前が付いているが
いつも客が少なくて
そのわりに数人の
インド人だかパキスタン人だかの店員は
やけに生まじめに働いていて
そのギャップが印象深い

前を通りかかるたびに
今夜も客がいないな
昨日もいなかったな
従業員は何人かいるのに
みんな食っていけるのかな
などと人ごとながら思う
いつか入ろう
入らなきゃな
倒産させてはいけないな
などと
ヘンな情けも
ちょっと起こしながら

台風で大荒れの宵
今日はもちろん
客も来ないだろうし
それでも外の電飾も付けていて
いつも通りに開店しているぞ
頑張ってるなあ
などと思いながら前を通ると
おやおや
ふたつのテーブルにふたりずつ客がいて
店内は意外に活気づいている
すぐ近くに大きなホテルがあるので
台風のおかげで
近くで食事を済まそうという客が
今夜は流れ込んだ格好らしい

ただそれだけのことだが
台風の時に逆に客が来るなんて
おもしろいなあと思い
台風のおかげで店がやっていける
インド料理なんて
おもしろいなあと思い
そのうち《台風のおかげ》とか
《台風のおかげでスルターン》とか
《台風の夜だって頑張るスルターン》とかに
店名を替えたら
もっと流行りそうだなと思ったが
替えないだろうなあ

替えるんだけどなあ
ぼくだったら
インド料理屋はやらないけれど
もしやったら
替えるんだけどなあ
《台風のおかげ》とか
《台風のおかげでスルターン》とか
《台風の夜だって頑張るスルターン》とかに
インド料理屋はぜったい
ぼくはやらないだろうけれど



美しい大きな羽を持つまるで違う姿が

 
蝶の幼虫のからだが
ある時点で急速に固まり出し
蛹になっていく

それを捕えた映像をくりかえし見ていた
速まわしで
卵から幼虫へ
さらに蛹へ
そして蝶へという変態が
よく見てとれる

成長し
やがて老いにむかって
体や精神が固まっていく人間も
おなじことかもしれない

老いも
死も
蛹だったのではないか

完全に変態した
蝶の時代が
やはり
その後に
来るのではないか

幼虫の頃の姿とは
似ても
似つかない
美しい大きな羽を持つ
まるで違う姿が


『シルヴィ、から』 56

 複声レチタティーヴォの連続のみから成るカンタータ叙事詩
 [1982年作]   

  (第二十四声) 1

 うまくごまかしたようだな。
だが、おまえが実際はどんなに切ない心でベッドに入ったか、わたしにはよくわかっている。
時間が経つのは早いものだな。
夢に慰められることもなく、早くも次の朝が訪れ、この地を去る日がとうとうやってきてしまった。すべては終わり、決定的な出来事はすでにつくり上げられてしまったとおまえは語ったが、声よ、全くその通りだ。なにひとつ派手なかたちでは現われなかったが、愉しみも悲しみもすべて過ぎ去り、おまえたちと違って、わたしはもう、なにもこれといった経験はしないだろうし、時が流れゆくのを身を裂かれる思いで見守るほどの情熱も持たないことだろう。

 朝食と礼拝を終えると、同室の友人たちとともに、わたしはすぐに宿舎に戻って荷物の整理を始めた。
衣類を取りまとめ、ひとつひとつ丁寧に畳んでトランクに収め、さらに、自分なりに細心の注意を払って所持品の確認を終えると、わたしはトランクを閉じ、鍵をかけた。ついで、いくらか念を入れて制服の青いブレザーを身につけ、髪を整え、ティッシュペーパーで簡単に靴の埃を掃った。
そこまで終わってしまうと、わたしには他に、もう、これといった用事がなかったので、ひとたび鍵をかけたトランクをふたたび開き、その中を整理し直して時間を潰した。
同室者の大半は、手早く整えた荷物を持って、早々に部屋を出ていた。出発までの時間を、少しでも長くガールフレンドたちと過ごそうというのだった。
ひとりで宿舎に留まっていても仕方がないので、わたしも出発の三十分前頃には外へ出て、皆が集まっている女子宿舎の前まで荷物を持って行った。

 サイン帳が手から手へ渡ったり、握手をしてまわる人たちが立てる声や、親しくなった人たちが取り交わす会話などで、これまでになくざわめいているところへ来てみると、予想はしていたものの、自分がこの喧噪とはあまりに縁のない人間なのが、痛いほどに感じられた。
しばらく、この喧噪の中に留まっていたが、ひとりだけサインも頼まれなければ、握手も歓談も求められない気まずさに居たたまれなくなって、そこを離れ、場を移した。
 わたしが外へ出た頃には、すでにバスは来ていたようだったが、出発を潔く受け入れる気配は人々の間にはまるでなかった。
予定されていた出発の時間が過ぎた。
十時半をまわった頃、これ以上はもう遅れるわけにはいかないと言われて、ようやく皆、バスに乗り込むことになった。
わたしのように、これといった新しい確かな交流に恵まれなかった者は、それぞれの感慨を心には持ちつつも、言われるまま、すみやかにバスの中に入って腰を下したが、この合宿中になんらかの幸せに恵まれた人たちは、最後の抱擁やキスに忙しかった。
わたしは、ただただ時間がはやく経ってくれるのを望みながら、彼らが自ずと大仰に演じる別離のさまを見続けた。
イギリスの女の子が数人、わめきこそしないが、時おり短い袖で顔を拭いつつ、頬に赤い筋ができるほどに涙を流して、恋人にハンカチを振っていた。すっかりしょげ返って俯いている者や、目を押さえてバスから遠ざかっていく者もあった。それとは一見対照的に、タイヤに足をかけてバスの窓のところまでよじ登り、大声で誰かに話しかけては笑う、賑やかな娘もいた。
バスの中では、誰もが、一時も笑顔を絶やすことなく、別れの場を盛り上げようとしていた。
わたしとて、それに抗ったわけではない。今日ここで別れていく人たちとは、おそらく、たがいに二度と会うことはできないだろうし、もし誰かと会うことができるとしても、この十日間のような条件の元に会うわけにはいくまい。誰もがそう思っていたはずだった。
 バスには乗ったものの、ほとんどの者がなかなか座ろうとせず、窓にもたれて手を振ったり、頷いたり、ウィンクしたりしていた。発車する際に危険だから、各自自分の座席につくように、とたびたび注意がなされたが、それに従う者は少なかった。
バスを取り巻いていたイギリス人たちが、やがて、急に数歩退くのが見えた。エンジンが響きを立てて、発射時のあの最初の大きな振動に、うしろ髪を引かれたように席に押しつけられた時、バスがとうとう動き出したのだとわかった。「ああ、……」という声が口々に上がり、どよめきとなった。手を振っていた人たちは、痙攣したように、いっそう激しく手を振った。掌がガラスに擦れて、叫び声のような音を立てた。
手こそ振らなかったが、わたしも立ち上がって後ろを見た。道路いっぱいに広がって、手やハンカチを振っている人たちの姿は、すでに遠かった。
そういうさまを目路に収めながら、他の人たちに対して、わたしは内心、優越感に似たものを抱いた。今頃になってまで、未練がましく手を振り続けて嘆く人たちとは、わたしは明らかに異なっているはずだった。
昨晩のあの成功をわたしは信じていた。すべてはきっぱりと終わったと信じていた。わたしの心を引き留めるようなものは、もう、なにひとつ残ってはいないはずだった。

遠ざかっていく路上で、誰かが、両手を大きく振りながら、何度も飛び跳ねているのが目にとまった。
と同時に、予想だにしなかったことが内部に生じた。
ふいに、わたしは思い出したのだ。
昨日の日中、住所と名前を書いて渡してくれるようにと、あの娘に頼まれたにもかかわらず、それをわたしはすっかり忘れていたのだった。
ああ、……と、さっきの皆の嘆声に遅れて、わたしはひとりで声を洩らした。
なにかがわたしの中で崩折れていくようだった。娘の昨日のいろいろな仕草や微笑みがいっぺんにわたしの中のどこかから湧きあがって、口や目から溢れ出るようだった。
彼女が来ないからいけないんだ、とわたしは考えた。
しかし、わたしたちと同じように今日ここを去って、家へ帰り、明日からまた働くのだと娘が言っていたのを思い出して、ひょっとしたら、皆がバスのところに集まっていた時、彼女は荷物の整理でもしていたのかもしれないと思った。皆から離れてぼんやり座ってなどいないで、あの時、彼女を探すべきだったのだ、と思った。

(第24声 続く)



2017年10月30日月曜日

『シルヴィ、から』 55

 複声レチタティーヴォの連続のみから成るカンタータ叙事詩
 [1982年作]   

  (第二十三声) 9

  (承前)

 長い間、わたしはシルヴィを意識し続けた。音楽は次々と替わり、踊りの輪は、わたしの前を、わたしとシルヴィの間を、すでに幾度廻ったか知れなかった。
その間、わたしは座り続けたままだったが、わたしにとって彼岸にもあたる向かいの椅子の並びにあって、シルヴィもまた、立ち上がる気配を見せなかった。踊っている人たちの動きの隙に彼女の姿が見え隠れすることや、室内がやや薄暗くなっていることもあって、シルヴィがどのような顔をしているかは、わたしのところからはわからなかった。そして、顔のさまを掴めない以上、彼女の心の状態など知る由もなかった。
「最後のダンスです。皆さん、いよいよ最後ですよ」
 声が上がると、ざわめきが起こった。近くにいた引率の教師がわたしに、「さあ、最後なんだから、きみも踊ったらどうだい?」と言った。 
 それに頷いて、わたしはようやく立ち上がった。壁づたいに歩いてシルヴィのところまで行った。
音楽が鳴り出し、崩れていた踊りの輪がかたちを取り直した。
シルヴィの前にわたしは立ち止った。
彼女は片手で顎を支えて、俯いていた。純白の服に赤いスカート、その上に黒い大きな前掛けをつけていたが、これは彼女の郷里の衣装であると見えた。
シルヴィは顔を上げた。わたしは彼女の目を求めた。
視線と視線がたがいに長い渦のように回転しながら、しっかりと絡み合って動きを止めた瞬間、たとえ一刹那であれ、わたしはシルヴィの時間を確かに掴みとめたと感じた。昨晩の就寝時の決意、今日という最後の日のために設けたわたしの目的が、すべて、この一瞬のうちに成就されたと感じられた。わたしがシルヴィの眼差しを捉えているばかりでなく、シルヴィもまたわたしの眼差しを捉えていた。
シルヴィは、この一瞬にあって、逃れようもなくわたしを見つめていた。
わたしは勝ったのだ。
シルヴィというこの謎は、もう、わたしから離れられないに違いなかった。この一瞬の彼女の眼差しを心に持ち続けるかぎり、シルヴィはわたしのものであり続けるに違いない。
わたしの心には余裕が生まれた。
すべては終わり、しかも、成功はわたしの手中にあった。
もう、後はどうなってもかまわない。
シルヴィがこれからどういう態度に出ようと、それらすべては座興ほどの意味も持たない。決定的な出来事はすでにつくり上げられてしまったのだ。
わたしは微笑みを浮かばせた。片手を差し伸べて、声をかけた。
「踊りませんか?」
 シルヴィは首を振って、その気がないことを示した。首を振るだけでは足りないと思ったのか、顎を支えていた手を離して、二三度軽く振った。
わたしは、静かに、なにも言わずに彼女の前を離れた。
体裁を保つために、近くにいた他の女の子にも声をかけてみたが、ここでもわたしは断られた。
「ごめんなさい。わたし、もう疲れちゃったの」
とその女の子は言い、心持ち、肩を持ち上げる素振りをした。
微笑んでそれに頷くと、わたしは向き直って、ふたたびシルヴィの前を通り、戸外へと出た。

 外は肌寒かった。薄雲が空を覆っているらしく、ところどころにしか星が見えなかった。
あたりを歩いてみると、敷き詰められた小石が足の下で音を立てた。その音が、聞こえてくる踊りの曲や部屋のざわめきなどとは、全く異質なものに感じられた。
 冷たい風がふいに立って、わたしの腕と体との間を静かにすり抜けて行った時、どことも知れぬ夜の街で、女性を抱きしめて街灯の下に立ち尽している自分の姿が、突然鮮やかに心の中に浮かび上がった。
厚い毛の外套の中にその女性とともに包まって、夜の寒さに耐えながら、わたしたちは長い接吻をしているのだった。
時おりちらつく街灯の焔が、寒さをいっそう募らせるようだった。夜気は湿りを次第に増し、まもなく冷たい雨か雪が降り出すかと思われた。雪ならばともかく、雨や霙が滲み透るのを防ぐことはできないだろうと考えながら、わたしは外套の濃紺の生地に時々目を走らせた。
わたしたち二人は、平らな石の敷き詰められた街路の上に立っていたが、そういう歩みやすい道を、まもなく、ひとり離れることになる、とわたしは予感しているようだった。
 幻はすぐに消えたが、集会室の向かいにある礼拝堂の前の階段に腰を下して、わたしは、この幻のイメージを何度も反芻した。
幻の中でわたしが抱いていた女性が、シルヴィでもなく、あの娘でもなく、これまで会った他のどんな女性たちとも違うことは確かだった。
その女性の顔をはっきりとは覚えていなかったが、現実に出会えばすぐにそれとわかるほどに、彼女の本質を掴み得てはいた。シルヴィのようにわたしにとって決定的ななにかを持つ新しい女性が、やがて現実に現われるかもしれない。そう考えることで、わたしは幻の反芻をやめた。
 後になってわたしは、この幻を、突然甦った前世の記憶の一端だと信じるようになった。幻の中の女性についてのわたしの神話は、崩れるどころか、より堅固になった。前世で結ばれていた間柄なら、たとえふたたび結ばれることがないとしても、現世でもなんらかの特別の関わりを持たざるを得ないに違いないと思われたからだった。

(第二十三声 終わり)



2017年10月29日日曜日

光とかたちと物のこの脆弱な世界にむけて


イエスが言った。
「過ぎ去りゆく者となりなさい」。
トマスによる福音書 42


あなたが逝って
七年
経って

あのとき
あなたを攫っていった
低気圧をもたらした台風が
ふたたび
おなじ十月末に
襲ってきている
不思議

不思議といえば
まだ
わたしが生きている
不思議

あなたの逝った後
あんなに怒涛続きなのに
まだ
生きている
不思議
 
もう
時間がじつは
経たないということなども
深くわかって
他人には見えないけれど
わたしは
ずいぶん不思議な
心境にいる

生きる
死ぬ
よく生きる
どう生きる
などと
地上では
まだ
人々はかしましい

時間こそ自分であることを知り
どの場所も
家であることを知れば
それでいい
わかるまでは
人々はたぶん
ずっとかしましい

あなたが逝って
七年
経って

あなたに
教えたいような秘密も
わたしの中に
じつはずいぶん
肉化した

ことばでは
もちろん
表わせようもない

あなたが
あなたの逝きかたで
いくらか
わたしに表わしたように
たぶん
わたしも
ことばでないもので
身ぶりや
動かなさや
目の逸らしかたなどで
あるいは
影で
去りぐあいで
表わす

光と
かたちと
物の
この脆弱な世界にむけて



神話のほうへと向かい続けるたましいたちのほうが



人と人は助けあって
だんだん
世の中はよくなっていく…

子どもの頃
大人たちから教わった
うつくしい
やさしい神話

いつか
すっかり神話を閉じた
たぶん
人でない
人たちに交じり
はじめから
神話など知らない
知ろうともしない
これもたぶん
人でない
人たちにも交じり

こわいかもしれない

神話をかつて
すっかり受け入れ
教わったまゝに
うつくしい
やさしい
神話のほうへと
向かい続ける
たましいたちのほうが

ほんとは


濡れても濡れても滲みないほどの深奥へ

 
いつのまに
いやなものと
思わなく
なっていたのだろう

濡れて困るような
ものの
数々
ずいぶん
落してきたからか

濡れても
濡れても
滲みないほどの深奥へ
隠れ入ってしまった
心だからか



って

  
なぜ詩歌が好きではないんだろう
と自問する時

って

あまり
ない

なぜ
喜怒哀楽を表現(…ヒョウゲンだってさ!)しようとしたものが
好きではないんだろう

って

なぜ
風景を描こうとしたり
理屈を捏ねくりまわそうとしたり
ものについて説明をしようとしたり
ナンセンスの至高の高み(とやら?)を目指して
日常のことばづかいを脱臼させて
苦しい大道芸をやってみせてくれる創作物が
好きではないんだろう

って

なぜ
ことばが
これほど好きではないんだろう
と自問する時

って

あまり
ない

さんざん
ことばだけは
借り入れっぱなしで
使わせて
もらっている
くせに

って


しずかなしずかな一瞬

 
あのひと
死ぬ

そろそろ

お花の
いっぱい咲いている
小山
登ったりして

いつか
落ちてきた
流れ星のかけらを
見つけて

死ぬ

前の
あの
ひとに

あげても

…しょうがないかな
やっぱり

軽い
みじかい
思い

窓外を降り続ける
雨に
添わせながら

流している

偶然
入った
カフェの
窓際で
啜っているの
コーヒー

ちょっと
ふつうより
おいしい感じな

あゝ

いろいろなところを
経巡って
来たんだよね
きみなりに

じぶんの口が
じぶんの心の耳に
呟いたり
しちゃってるの

しずかな
しずかな
一瞬


『シルヴィ、から』 54

 複声レチタティーヴォの連続のみから成るカンタータ叙事詩
 [1982年作]   

  (第二十三声) 8

  (承前)

 音楽が鳴り出しても、しばらくは、わたしは中へ入らなかった。ダンスは相手あってのものであるし、ダンスのたびにいちいち相手を求めるあの気苦労に、わたしはもう耐えられなくなっていた。今日は最後まで、まわりに並べられている椅子に座り続けて、友人たちの踊るのを見たり、この合宿中にあったことをいろいろと回想したりして過ごすつもりだった。そうしながら、一方でシルヴィの気持ちを知る方法をさぐり、シルヴィと個人的な一瞬を持てる機会を待つつもりだった。ちょっとでも気を緩めると、そういう考えがすぐに人に知れてしまうように感じられたので、わたしは注意深く心を戒めて、そっと集会室に踏み入った。
 ダンスの輪が音楽とともに廻っていた。入口の近くの椅子に腰を下ろそうとする時、誰かがわたしのほうに歩いてくるのに気づいた。外へ出るのだろうと思って、ダンスの輪のほうにぼんやりと目を開きながら、わたしは足を引いて通路を作った。
しかし、その人はわたしの前で立ち止まると、わたしの腕を突然掴み、引き上げた。
シルヴィではなかった。
あの娘だった。
またしても、彼女だった。
『そうだ、この人がいたんだ』と思った。
彼女は黒い艶やかなドレスを着ていて、肩には銀の紐が掛かっていた。殊のほか、華やいでいた。見違えるようだった。
彼女はなにも言わなかったが、今まで一体なにをしていたのかとなじるようにわたしを睨んで、すぐに踊りの中にわたしを引き込んだ。
その踊りはわたしの知らないものだったので、後ろや前の人たちの足の運びに注意して、せめては人の足を踏まないように、と気をつけた。
時おり、彼女の顔を見ると、目が合うたびに微笑んでくれたので、彼女のなじるようなさっきの眼差しを気にしていたわたしは、次第に楽な気持ちになった。
 なかなか長い踊りだったためか、それが終わると、彼女は「疲れたわ」と言って、椅子に腰を下した。次の踊りはやらないのかと聞くと、ちょっと休みたいという返事だった。
腰かけている彼女を、立ったまま、わたしは見ていた。
見事な装いだった。
奇麗だと言ってやるべきだろうか、と考えたが、数日前、シルヴィにもそう言ったことを思い出した。あの時、シルヴィは本当に美しかった。今でも、もちろん一番美しい、とわたしは思った。
この娘も、今夜はじつに美しい。
美しいというより、着こなしの点で見事だ。
着こなしのこの素晴らしさは、生活に密着した知恵の周到さの美しさのように思われ、そういう現実的な美しさの揺るぎない現われ方が、ともすれば、天上へ逃れて行ってもしまいそうなシルヴィの把握しづらい美しさとはまた異なった、充実した日常生活のものにも似た幸福感を、わたしに与えた。
「きれいだね」という言葉が喉まで出かかっており、その讃辞に嘘はなかったのだが、ふと、これもまた突然に、そのように言うことが、すべて、なにか非常に無駄なことなのだ、という思いが浮かんだ。
わたしは、出かかっていた言葉を呑み込んだ。永遠に呑み込んでしまった。
そうして、ただ黙って彼女の隣りに腰を下した。
一刹那、彼女の首筋に、流れあぐんだ小さな汗の玉が見えたが、その汗の輝きが、わたしの欲情をほのかに燃え立たせた。
その汗を吸いたいと思った。
首筋ばかりでなく、顔の全体にも、殊に、鼻や瞼にも、薄く万遍なく、汗とも油ともつかない膜が伸び輝いていた。胸元には薄く赤みがさし、ドレスの中を満たしているはずの娘の肉体の熱気がそこから洩れ出て、今にもわたしの鼻や口に、そして、胸の内へと達するだろうと思われた。
おそらく、ここに、手を出せば確かに物体として掴むことのできる現実的な幸福があった。ここに娘の体が確かにあり、息づいていて、汗ばんでいる。その汗がわたしの体を誘う。なにひとつ嘘はなく、幻はない。なぜわたしは掴まないのだろうか。
シルヴィ?
シルヴィにまだ未練があるのか?
シルヴィをこそ、このような実体として掴みたいというのか?
いや、そうではない。
少なくとも、それだけではない。
シルヴィとは謎なのだ。肉体としてや、女としてよりも、まず、シルヴィは謎としてある。
わたしはその謎を解かねばならない。それがわたしの為すべきことなのだ。シルヴィとは一体なんなのか。わたしにとって、シルヴィとはなにを意味するのか……
 次の踊りをわたしたちは見送った。踊りの輪が広がったり縮んだりして、音楽とともに廻っていくのを見ながら、「この次は踊るの?」と娘に尋ねた。彼女は首を横に振った。踊らない理由を聞こうと思ったが、面倒に感じられて、止めた。
 その踊りも終わると、彼女のところへ別の娘がひとり来て、わたしを連れていっていいかと聞いた。彼女は快諾した。娘が他に彼女にどう言ったのか、小声だったので全部はわからなかったが、「べつに、そんなに疲れているわけじゃないのよ」と言っていたのは聞こえた。それから、わたしのほうを向いて、「もちろん、あなた次第だけど。…でも、踊ってらっしゃいな」と、三日月のようにきっぱりと口を開いた微笑みを作って、言った。
わたしは踊りの輪に加わった。その晩の最初の踊りをわたしと踊ることだけが、彼女にとっては大切だったのだろうか、とわたしは考えた。
 はじめの踊りと違って、それ以後の踊りは、内まわりの女子の輪と外まわりの男子の輪が、曲の一節ごとに、それぞれ逆方向にまわりながら進行していくものだった。そのため、ひとつの曲の間でも、相手は次々と替わった。
何度目かの曲の時、いつの間に加わったのか、例の娘がわたしのところへ廻ってきたこともあった。もちろん、曲とともに踊りの一節が終わって、次の一節へと時間が移る時には、彼女とわたしの手は離れたのだが、この踊りの輪の中に両者が加わっているかぎりは、やがてまた近いうちに、わたしたちは手をとり合って同じ旋律の中で生きることができるに違いなかった。
一節が終わっては、また次の一節がはじまり、一曲が終わっては次の曲が続いた。踊りの輪のように、すべてが絶えず過ぎ去っては戻ってきた。腕時計の秒針のように、また、長針のように、ふと気づくとさっきの場に戻っているのだった。
だが、短針のように進んでいくものもあるのは確かだった。短針もまた、いずれは同じ場に戻ってくるはずなのだが、その時にはわたしはすでに異なった時間の中に生きていて、今ここにあるものは、なにひとつ、わたしに残されてはいないだろう。踊りはいつか終わる。あと何回か曲が替われば、それで終わりになる。そうしたら、今日という日も完全に終わる。すべてが終わってしまう。
旅行もやがて終わり、秋からは、ふたたび、朝の満員電車や午後の眠たい教室がわたしの日常となるだろう。せっかく脱け出してきた世界へ、わたしはふたたび戻らなければならない。行程が終わるとともに、出発点に戻らなければならない旅。先に行けば行くほど、かつてのしがらみに確実に戻っていく脱出。ふたたび戻らざるを得ない日本の、それもごく個人的な日常が、出発前と全く同じ姿でやがてわたしを包み込むのだと思うと、手相の重要な線の断切点を指摘されたような不快感に眩暈がするようだった。
日常はどこかしら変わってくれている必要があった。変化が日常の側にないのならば、こちらがそれに変化を与え得るものを持って帰らねばならなかった。どのようなものを持って帰ればいいのか。どのようにすればいいのか。
そういうことまでは、非日常の真っ只中にいる現在では、よく考えるわけにはいかなかった。現在のこの情景、この空気のすべてを、まず、強烈なさまのまま吸い尽す必要があるからだ。これらは、いずれ、日常を変えるためのエネルギーとなるだろう。思い出という蓄えは、耐えがたい日常に風穴を開けることができるからこそ、また、その場合にのみ意味があるのだ。
しかし、それでは足りない。それは消極的な自己防衛の手段に過ぎない。風穴ではなく、より大きな穴を開けて向こうへ這い出すためには、もっと強い手がかりが必要だ。その手がかりとは何なのか。どれを手がかりとすればいいか、今考えることはできないとしても、せめて、なにに目星をつけたらいいのか、わかりはしないだろうか。
 もうどれほど踊ったか知れないが、何回目かの曲が終わった時、ちょうどその時にわたしの相手になっていた女の子が、休むために輪から抜けた。ひとりではむろん踊り続けるわけにもいかず、他に適当な人も見つからなかったので、わたしも抜けて、近くの椅子に腰を下した。
椅子は、この集会室の四辺の内壁に沿って並べられていて、ちょうど、踊りの丸い輪を四角く取り囲むようなぐあいになっていたが、ふたたび音楽が鳴り出して輪が動き始めると、今まで見えなかった向かいの椅子の並びが、踊る人たちの動きの間から、ちらちらと見えるようになった。
そうした隙間のひとつにたまたま目を留めた時、わたしはそこにシルヴィの姿を見出した。

 (第二十三声  続く)



2017年10月28日土曜日

使わなかったなぁ 今回は

表現ということを
ぼくは馬鹿にしている
かなり
ひどくね

それがどうでもいいことなのだと
もう
とうに答えを出してある

だいたい
どこまでいっても
出来あいの既製品にすぎない
ことばや
色や
かたちなどを
ようするに
組み合わせ続けるだけで
なにかやらかしたかのように思う幼児性が
どうかしている

かといって
そんな組み合わせを峻拒し続けようとするのも
認識や意思や行為の
出来あいのものでいっぱいの倉庫の中で
既成品のひとつの「峻拒」を選んで
これ
今の気分に似合ってるかしら?
女の子みたいにプチ高揚しちゃっているだけ
どうかしている

なんにもしなくて
いいのにね
 +
なんにもしないぞ
なんて
思わなくても
いいのにね

ヘンに方向づけをし
決めてしまうと
すぐに
観念に支配されてしまう
ことばにもね

危ない
危ない

だいたい
表現なんて
どれもこれも
表現したいものそのものじゃないぞ
ありえないぞ
というのが前提だから
嘘じゃん?
すべての表現って?

ってのが
前提なのは大人の常識でしょ?
表現についてはさ
とか
なんとか
反論してくる人も
いるよね

この前も居た

だから

なぁんだ
だって
わかってるんじゃない?
あなた?
嘘に嘘を重ねて
どこか
そんなに行きたいところ
あるの?

聞いたら

返って来なかったよ
いい答え

ばかな人は
生きていくには
しかたがないじゃないの
とか
なんとか
答えてくるんだけど

その人
そんなにばかじゃ
なかったんだ

嘘に嘘を重ねていけば
構造が多層的にかたちづくられて
複構造的に真に到達できる
とか
なんとか
言い逃れは
できるんだけれど

それだって
仮定
だよね?

そんな仮定に
あなた
一生賭けるんだね

っていう
問いとかを

使わなかったなぁ
今回は