DVDボックスを買って
鈴木清順の『ツィゴイネルワイゼン』を久しぶりに見たら
十数回もシネマプラセットに通って
むかし
何度も観た時に好んだ白っちゃけたさびしさが
やっぱり漂っていて
懐かしくもあり
味わい深くもあり
人というものは
ひとつの“生き”のかたちから
とうとう
最後まで出られない
それが
白っちゃけてさびしい
どんなにいろいろやろうとしても
職をあれこれ替えてみても
放浪の旅に出ようとも
悟ろうとしても
逆に一所で謹厳実直に勤め上げたりしても
あの人は結局あゝいう人だったのだと
他人からはずいぶん簡単にまとめられるだけのことで
他人のそんな大括りのまとめっぷりからは
誰ひとり逃れることはできない
逸脱し切ることはできない
そんなところを
この映画はよく描き尽している
監督は他のことを表わそうとしたのかもしれないが
わたしにはそう見える
人間だれもかれも
個性だとか
持ち味だとか
いい意味でいろいろ言われたり
惑っているばかりだったとか
煮え切らない奴だったとか
ものの考え方の単純な奴だったとか
わるく言われたり
だが
どれも結局おなじことなのだ
あの人は結局あゝいう人だったのだと
わかられてしまう
整理されてしまう
いや、むしろ
よくわからない人物を
『ツィゴイネルワイゼン』は描き出そうとしていたのでは?
と言われるかもしれない
だが
結局おなじことなのだ
よくわからない人だった…
と他人からは言われ
まとめられ
整理される
よくわからない…
という
わかり方があるのだ
そういう
わかり方をされてしまう
そこの
白っちゃけぶりが
いいのだ
白っちゃけたさびしさが
いいのだ
まるで
舞台におおげさに散る
紙の
うそっぱちの
雪の
あの
ちらちらの
ようで
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