2017年10月15日日曜日

なにもかも仮象にすぎないと


なにもかも仮象にすぎないと
ほんのちょっと大きめの声で言ったりすれば
今まわりにいる人々は大笑いしたり
格言めいたことをさももっともらしく言う愚か者よと
失笑したりするだろうけれど

同じようなことを語った昔の
あの時や
また別のあの時
あれらの時に目の前にいた人々はもう
今では本当に消えてしまって
仮象でさえない
薄い水輪の最後のゆらめき

だから今ここにいる人々もすっかり消え去るのは
容易な数学の問題の解法のように確かなことなのだけれど
消え去る宿命の人々というのはいつも
やがて来る真実を告げられると
大笑いしたり
失笑したりして
その場の波動のリズムを取り戻そうとだけ努める性質の生物

マラルメの挨拶を引いておこうかな
Rien, cette écume,vierge vers*
「虚無である、この泡、未だ拓かれざる詩句」…
とでも訳そうか
「無、この泡沫、処女である詩句」…
とでも?
どうにも訳しづらいまゝ、放っておくのがもちろん賢明で
リヤン、セテキュム、ヴィエルジュヴェール
と言語に近く読んでおくのが
こちらからの
これはこれ、最大の挨拶
たぶん、…
たぶん、…

なにもかも仮象にすぎないと……

しかし、
今はわかる!
マラルメがAmisと呼びかけていたのは
ぼくのことでもあったのが

大笑いしたり
失笑したりして
その場の波動のリズムを取り戻そうとだけ努める性質の生物
へ呼びかけていたのではなく
ぼくに
であったことが!


*Stéphane Mallarmé : Salut



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