2017年10月16日月曜日

『シルヴィ、から』 42

 複声レチタティーヴォの連続のみから成るカンタータ叙事詩
 [1982年作]   

 (第二十一声 シセル篇) 3


食糧やその他必要なものは、週に何度か、川を下っては上がっていく配達人が届けてくれる。
船が着くたびに、わたしは「いつもありがとう」と配達人に言ったものだが、彼もいつも同じことを答えるのだった。
「いや、あなたは十分に働いたんですからね。当然の報酬ですよ」
と言うのだ。
こういう彼の言葉に表向きは微笑を返したが、内心わたしはひどく訝しく思った。というのも、自分で覚えているかぎり、わたしは働いたことなどなかったのだし、どんなことをして働いたのかも全く思い出せなかったからだ。
にもかかわらず、わたしがかつて「十分に」働いたということは、わたし以外の人たちにとっては動かしようのない事実であるようだった。
シセルもたびあるごとに「あなたほど素晴らしい働きをした人はいないわ」と言った。
それに逆らって、
「でも、ぼくはなにもしなかったよ。ずっとここで、最初からこうやって暮らしているんだ」
とわたしが言うと、彼女は、
「いつもそうやってとぼけるんだわ。でも、いいの。そうよ、ずっとここにいればいいのよ」
と言って、わたしの頭を胸に抱きしめるのだった。
わたしはされるままになって、シセルの胸に顔を埋めて、自身のことにも関わらず、なにか自分の知らないこと、あるいは、忘れてしまったことがあるのだと考えるのだった。だが、わたしの考察はいつもそこまでで終わった。わたしは、自分自身にはあまり関心がなかった。たゞたゞ、この土地での日々に満ち足りていた。

太陽の動き、雲の流れ、青空の輝き、草原のざわめき。
あたかも、それらを詳細に観察するために、ここで暮らしているかのように、わたしたちは毎日をテーブルに着いて送るのだった。
時には草原をめぐり、川で釣り糸を垂れる。
わたしは全く倦むことを知らなかった。
ときどき気にかかって、シセルに、
「きみはこういう暮らしに飽きないかい?」
とたずねることがあった。
彼女はそういう時、言葉ではなにも答えなかった。
そのかわり、わたしの傍らにいる時には、わたしの胸に頬を強く押しつけた。
テーブルでわたしと向かいあって座っている場合には、微笑みながら、わたしの手の指を軽く捩ったりした。
おそらく、彼女も飽きるということを知らなかった。そして、わたしもじつは、そのことをよく知っていた。シセルがこの生活に飽きないことを知っていたからこそ、わたしは先のように問うことができたのだ。
もし、少しでもシセルがわたしとの生活に倦むことがあれば、それはわたしには耐えがたいこととなっただろう。記憶によるかぎり、どこからともなくこの地にやってきたとしか言いようのないわたしには、シセルの他には、なにひとつ愛おしいものはなかった。シセルがいる、シセルといっしょにいられる、ということが、わたしに水汲みを、あの食器数えを、草集めを、魚釣りを、毎日続けさせたのだった。
シセルの美しさも、いや、美しいというよりは愛らしさも、あるいはまた、けっして長くはないその髪の柔らかさも、眼差しも、あらゆる仕草も、もはや、わたしを幻惑させることはなかった。なぜならば、それらはすでにわたしにとって、水や空気のようなものになってしまっていたから。
もし、これを失えば、一日としてわたしは生き続けることができなくなってしまうだろう。たちまちのうちに、干からび、窒息してしまうだろう。今では、わたしは、恍惚となるためにシセルの瞳を見つめるのではなかった。生きるために、わたしはシセルと見つめあうのだ。この地でのわたしの生の目的、わたしの命を価値づけるもの、それはシセルであり、また、シセルと暮らす日々なのだった。
わたしはまったく満ち足りていた。この上なく幸福だった。
だが、本当だろうか。
満足しており、幸福であったということが本当だとしても、そしてまた、シセルがいつでも一緒にいてくれることに限りない喜びを感じていたとしても、わたしは果たして、それだけで満足できる魂だったのだろうか。
この地で、このテーブルに肘をついて、この塔の下で、こうして日々を送るだけで、わたしの魂の胃袋は幸福と充実とで満たされているかもしれないが、わたしはひょっとして、より大きな胃袋を欲しているのではないのか。この程度の幸福では満たされない胃袋、あまりに広大過ぎて、いくら水を飲んでも、とてもその全域を潤すには足らぬほどに広い天井を持った胃袋を。
しかし、そうだとすれば、一体、なんのためだろう。
なんのために、より大きな器が必要とされるのか。
わたしは幸福でもあり満足もしているのに、こういう無類の財産を、ほとんど無いに等しくしてしまう新たな巨大な宝箱が、なぜ求められなければならないのか。
わたしにはわからない。
こういったことが、わたしには、いつもわからないのだ。

 (第二十一声 シセル篇 続く)



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