「大丈夫よ、ワタナベ君、それはただの死よ。気にしないで」
村上春樹『ノルウェーの森』
経験したことのないウイルスの来襲で
人間たちは世界中どこでもあたふたさせられていたが
人をいのちにつなぎ止めようとか
じぶんがいのちにしがみつきたいとか
そんなあがきもかなりあったように感じられた
なるほど10代や20代ならば
もうすこし生きてもいいのにとは思うが
中年や老年にある者なら
急に病を得たり
災害や事故にあったりしたら
その時点で死んでしまったとしても
もうしかたがないと考えてすますべきだと思えてならない
もちろん無事に長生きできるのはいいと思うが
もう30年以上生きたのだから
もう40年以上生きたのだから
もう50年以上生きたのだから
などといった諦念はどの人にも必要だと思う
生き残るまわりの人はまだお若いのになどと残念がったらいいが
死んでいく本人はまぁこんなところかなと思っておくのがいい
そういう諦念がとりあえずあれば
ウイルスでどれだけ死のうが実際にはそう困らない
どこかでみんな死ななければならないのだから
ISに生首を掻き切られるのよりは平和な死に方ではないか
空襲の焼夷弾で焼かれて死ぬのよりもウイルスのほうが格段にいい
地震で崩れたビルに潰されるのよりもコロナ様々ではないか
自粛強制で立ち行かなくなった店で首を吊るよりは
ECMOを付けられて死んでいくほうがまともな死に方だろう
今回いきのびたといってもあと20年もすれば老人はほとんどいない
それなら20年先に死んでも宇宙的になにが変わるのかということになる
なんだか死観がせせこましくなって
これが平和ということの帰結ならば情けないことだと思う
なにもヘンな潔さをいやいやながら発揮しろというのではない
あゝこのあたりで俺ってのも終わっちゃうのかなと思うのは
なんだかとってもヘルシーなんじゃないのかと思うのだ
いろいろな人が死んできたのを誰でも見てきているはずだが
彼らが死んだからといって天も落ちて来ず海も割れたりはしなかった
つまりたいしたことではなかったわけだし
だいたい毎日厖大な数の家畜を殺しているというのに
地上はそのせいで揺るいだりもしない
じぶんやじぶんたちだけが家畜と違ういのちだとは思わないほうがいい
動物たちにやったことはこちらにきっと返ってくると覚悟しないと
家畜殺しだってなんだか曖昧模糊とした殺しになってしまう
もちろん死にゆく人々は潔い覚悟と諦念の人がじつは多くて
いのちへのしがみつきはマスコミが拵えた印象だったかもしれない
マスコミは人間のいのちはとにかく大事だと伝えたがり
それでいてアフリカのどこぞの武装集団が40何人殺されましたとか
ビン・ラディンやカダフィがしっかり殺されましたとか
そんなことにはこれっぽっちの情けも交えず報道したりするが
とにかくも欧米の文明国の人間が死ぬと大ごとに扱うのである
だがそのわりにはどんどん死んでいるアメリカ人たちの人となりなどが
全くといっていいほどこちらには伝わってこないのだが
これはアメリカ国内でも非文明な感じの人々の死だからなのか
それとも低文明な感じの人々ばかり死んでいるからなのか
単にマスコミが怠惰なだけか死亡欄のスペースの節約のためか
それとも数だけカウントし続ければいいだろうという
なかなかハードボイルドな達観によるわけか