ニュースはスマホやタブレットで見るのだが
シン・コロナのニュースがあると(もちろんいっぱいある…)
目は自然とすべてをすっ飛ばしていくようになった
日々の感染者数や死者数の推移は
五月の連休の頃までは手帳にメモさえしていたのに
それ以降はもう見もしなくなってしまった
じぶんの中で結論が出てしまったということもあるが
新型コロナとか
新型コロナウイルスとか
シンコロとか
なかには珍コロとか
チンコロとか
文字づらとしても音声としても
そんな音の連呼にこころの耳が飽き切ってしまって
こころの耳は擦り切れ防止のために
自動的にノイズキャンセリングするようになってしまったらしい
こころの耳というのはよくできたものである
きっとこれからの時代
あちこちの街角で5人や10人並べて銃殺刑にするような事態に
世界中が向かっていくだろうけれども
その時に響く発砲の音にもノイズキャンセリング機能は発揮される だろう
人にはどうしようもない運不運というものがあり
自粛に精を出そうとマスクをしっかりしていようと死ぬ者は死ぬ
自粛などせずマスクもせずとも死なない者は死なない
開高健が従軍して伝えたベトナム戦争の銃撃戦の森の中で
皆が這いつくばって銃弾を避けていた時に
悠々と座りながら飯を食べていたベトナム兵の姿や
双方が銃砲を対峙させているパレスチナの戦闘地域の境目を
なにも恐れることなくベドウィンが歩いて行く姿などを
これからはいよいよ思い出し直して覚悟をつけておくのがいい
0 件のコメント:
コメントを投稿