葉書で来る訃報は
死亡通知状とか
死亡通知挨拶状とか呼ぶらしいが
ずいぶんと味気ない呼び方をするものだ
と思う
2021年には
それが
いっぱい来た
とはいえ
個人的なつきあいのある
じかに知っていた人の訃報は
といえば
たったひとつだけ
それ以外は
しりあいたちの老親のもので
つまり
会ったこともなければ
会う予定もなく
会う可能性も
まず
なかったはずの
存在さえ
思ってみたこともない
そういう人たちの
訃報
そういう訃報というのは
受け取る側にとって
意味はといえば
たったひとつしかなくて
年賀状ハ送ッテ来ナイデクダサイ
というだけのこと
本当なら
ゴ愁傷様デス
サゾオ悲シミデショウ云々
と書き送るべきところだろうが
まったくの未知の人の死であるうえ
そもそも
しりあいといっても
一年にたった一度
年賀状のやりとりをする程度の人の
老親のことでもあって
ゴ愁傷様ハガキなんぞを送るのも
なんとなく仰々しくて
出さないことにしてしまう
こう考えてみると
あの死亡通知状というのは
いったい
なんなんだろう
と思えてくる
故人とつきあいのあった人に送るのは
至極
要を得ていると言えようが
故人とつきあいのまったくなかった人へは
むしろ送らないでおくほうが
正しい配慮ではないのか
べつに
死亡通知状を
ことさらに批難しようというのではないが
家族の誰かが死ねば
年賀状を送っている相手みなに
あれを送らないといけない
と考えるのも
内実の伴わない
というか
然るべき機能に反した
誤った考え方に陥ってしまっている
と思えてならない
だけ
のこと
故人に会ったこともなければ
つきあいもなく
将来会う可能性もなかったはずの人たちには
例年どおり
ふつうに年賀状を送っておいたほうが
自分に流れ込んでくる人生線を
複数化でき
複層化できて
よほどいいだろうに
と思える
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