大島渚の古い映画は
以前からネットでもけっこう見られるようになっていたが
このところ
Amazon primeでもふつうに見られるようになってきたので
新年そうそう『東京戦争戦後秘話』(1970)など見ていたら
学生のひとりのセリフにこんなのが出てきた
「吉本も言ってたけどさ、
吉本隆明もうまく言うなァ
と
ちょっと感心
もちろん
「封建的なものとモダニズムが錯綜している日本の土壌」
うまく言っているようで
そうとう問題アリだが
(「封建的なもの」とレッテル付けせずに、
それでも
「幼年期から少年期の体験のつまらないフェティシズムの泥沼に、
というのは
みごと
言い得て妙だと感じる
令和とかいう不吉な年号の今
(不吉さがどれほどのものだったか、
まわりで「文化」「カルチャー」
どれもこれもが
「幼年期から少年期の体験のつまらないフェティシズム」を
さも素晴らしいものであるかのように
誇張し
増幅し
バーコード付けし
まるでオミクロンのように極端なまでに弱毒化して
とにかく客のさびしさや口さびしさをつかのま穴埋めするためだけ
大量出荷し
・・・である
なにを見ても聴いても「鑑賞」させられても
アーチストとか作家とかなんとか自称して悦に入っているおまえら
「幼年期から少年期の体験のつまらないフェティシズム」なんて
オレにはどーでもいいんだよ
オレの「幼年期から少年期の体験」の凄さのほうが
おまえらのチマチマした「体験」よりはるかに凄い
オレの自己体験についての「つまらな」さ自覚も強烈だし
オレの「つまらない」自己体験への「フェティシズム」
表面だけ社会の良い子良い人に見せて
その実極限まで非社会として生きてきたオレのピカレスクのほうが
云々
云々
云々
で
「文化」屋や「カルチャー」屋を言い募る連中の
商売の手法は
戦後の高度経済成長時と
基本
かわらない
それがもっとキレイキレイに
さっぱりと
スムーズになっただけのこと
Amazon化した高度経済成長期
というだけのこと
ちなみに
ちなみに
ちなみに
血波に
大島渚のモノクロ時代の映画が
いかに
つまらないか
くだらないか
60年代や70年代のノリからあまりに遠く離れて
ひとつひとつのんびり見ていると
本当によくわかる
いくらなんでも
どこまでセリフが生硬で
役者が下手で
大学の映像研究会レベルか
見てられないやネ
と思う
しかし
ワタクシは
大島渚の映画が大好きなのである
60年代や70年代の東京を
じつによく切り取っていて
映像に収めていて
資料的価値絶大!などと称揚しなくっても
ただそれだけで
超
面白い
街に出て本当にちゃんと撮ったのは
寺山修司ではなくて大島渚だったと思う
できれば
大島渚作品からよけいなフィクションや演技をぜんぶ削除して
東京実写風景のみを繋いで
新たな編集作品をだれか作ってくれたらなァ
と思う
あらゆる作品なるものからは
作者や関係者の手つきがぜんぶ消滅してくれるほうが
うるわしい
創作者の影など邪魔でしかない
創作者の網膜に映ったものだけで十分だ
創作者がコントロールできなかったものだけが貴重なのである
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