ひさしぶりに東京にも雪の降った夜、遅くなってから、スーパーへ浄水を取りに出た。
雪はとうに止んで、夜空には星が出ている。
数センチ積もったというだけあって、建物のわきや木々の下には白い小山ができている。
道路はといえば、雪はだいぶ溶けていた。アスファルトがすっかり現われているところもある。
しかし、路面の色が出ていても、その上に氷となって残っていることが多く、雪そのものが残っているよりも危険な状態になりつつあった。
靴底がすこし滑りやすくなっているものを穿いて出てきてしまったので、少し膝を曲げながら注意して歩いたが、それでも一度、滑りかけた。
その瞬間、若い頃に冬のパリで馴染んだ、建物の間で何日も凍結し続ける道が思い出された。
左岸のドラゴン通りに滞在することが多かったので、日々の買い物はレンヌ通りのスーパーのモノ・プリによく行った。建物の間の細いベルナール・パリスィー通りを通り抜けていく。有名なミニュイ出版社がこの通りにあるが、大学街のコピー屋のような小さな店構えで、人の目を惹くようなものではない。ここの本には馴染んでいたので、私の場合、何度となく立ち止まり、この店のドアを、きっと、ヌーヴォー・ロマンの作家たちやドゥルーズたちが出入りしたのだ、と想像して、ちょっと興奮した。
このベルナール・パリスィー通りは、冬などほとんど陽の当たらない通りで、雪が降ったりするとずっと残り続け、すぐに氷になって路面を覆ってしまう。そうなると、人通りもそう多くないのでなかなか溶けないし、わざわざ掻き取ろうとする人もいない。そう長いともいえない距離だが、それでも短くはない道なので、スーパーでたくさん買い物をしていくつも袋を下げて帰る時など、滑る路上をけっこうひやひやしながら歩いて行った。この道では、本当に転んだことはないが、何度も足を取られそうになった。膝を曲げて、ちょっとひょこひょこ歩きながら、注意して進んでいったものだ。
ドラゴン通りからレンヌ通りへ出るには、フール通りに出てから回り道したり、逆方向のサン=ジェルマン大通りに出てから、もっと大きく迂回して行く手もある。しかし、どちらもずいぶん時間がかかることになるので、やはり、どうしてもベルナール・パリスィー通りを選びたくなる。
私にとっては、はじめの頃のパリの代表的な風景といえば、このベルナール・パリスィー通りを抜けて、もっと大通りのレンヌ通りに出た時の景観だったといっていい。レンヌ通りにはバスも走っているし、つねにたくさん自動車が行き来していて、舗道にも人が絶えることがない。通りのそうした様子や、両側に伸びるパリならではの建物の様子が、私にはいかにもパリの象徴のように見え、ただ舗道を歩くだけでも嬉しかったし、楽しかった。左に少し行けば、サン=ジェルマン・デ・プレ教会の塔が見えてくる。右に行ってフール通りを抜ければ、サン=シュルピス教会に着く。こうしたことから来る、解放感というのか、然るべきところにつねに繋がっている、というような感覚も嬉しかった。
ひさしぶりの東京の雪での、路面氷結のはじまりにちょっと足を取られながら、私のパリは、ベルナール・パリスィー通りからレンヌ通りに出た時のあの景観から始まったのだ、と思った。雪の後の東京の夜も寒いが、パリの冬はふつうにマイナス6度やマイナス8度という温度で、暖を取ろうとしてカフェに入ったりすると、急に暖かいところに入った温度差のせいで頭がくらくらしたものだった。そんな時も、湯気で曇った窓ガラスを指で拭いながら外を覗き、パリのあらゆる顔を私は見続けようとしていた。
25歳だった。
一度、16歳の時に駆け足で通過したパリと、断続的にではあるものの、数十年にわたるつき合いに、私は入ろうとしていた。
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