2018年3月22日木曜日

いちいちのことに気づくようになってみると



その定食屋に入ってみる気になった

狭くて
うまそうでもなくて
さほど空腹というわけでもなくて

不思議なものだ
それでも入ってみる気になるというのは

細い店内に
カウンターが奥まで並んでいる
顔色がよくなく
貧相でもある店主が
狭い調理場から顔を出して
こちらを眺める

やっぱり
やめておけばよかったかな
と思うのは
店主の雰囲気もあるが
趣味のいいとは言えない内装のせいもある
安い化粧板を打ち付けてある店内には
雑多なポスターや
絵馬やお守りや写真が飾られてある
金子兜太の筆になる「安倍政治を許さない」
という色紙も貼ってある
取っている新聞は東京新聞で
それがカウンターの端に数部重なっている

《一度は入ってみる》
というマキシムによって
どんな店も
とりあえずは通過していくことができる
このマキシムは
どんな失敗も帳消しにしてしまう
経験であり
冒険であり
運命のいたずらということに
なってしまう
それで済んでしまう

うまい
と外に貼り紙してあったので
豚のにんにく焼きを頼んだのだが
悪くはないものの
うまい
というほどのものではない
ライスは別料金で150円
そうなると〆て700円になるが
この値段なら
もっとうまいものを出すところを近くにいくつも知っている
だが
サービスだそうで
冷奴と焼きピーマンを出してくれる

先客が出て行くと他の客はいなくなる
店内に貼っていある引き延ばした写真には
ギターを弾いているスーツ姿の男が写っているが
よく見ると店主なのがわかる
もっと若い頃はギターを弾いていたのか

額縁に入った広隆寺の弥勒菩薩の写真も掛かっている
やはり額縁に入った蓮の花の写真も掛かっている
カレンダーや雑誌から切り取ったらしい小型犬の写真が
いくつか貼ってあるのは犬好きだからなのか

店主にギターの写真のことを聞いてみる

クラシックを弾くのだという
じゃあアランフェス協奏曲なんかを?
店主はアランフェスを知らない
簡単なものしか弾けないのだという
あの写真の時はなにを弾いたんです?
奥から老いたおかみさんが声を出してきて
あの時はシューベルトの曲をギターで弾いたんです
こっちの写真の時は日本の曲をギター用にして弾いたけれど
それは親戚の結婚式の時でけっこう好評だった

店ではラジオが掛かっているがクラシック専門のチャンネルで
となると有線のクラシックチャンネルなのかもしれない

広隆寺の弥勒菩薩の話に移る
これにはおかみさんが乗ってくる
広隆寺の弥勒菩薩や中宮寺の弥勒菩薩の話に広がり
じぶんは浄土真宗の信徒なのだという話になる
日野にはいろいろと親鸞上人ゆかりのものがあるというので
東京の日野ですか?と聞くと
京都の日野だという
「京都はよく行きますが日野というところには行っていないなぁ
「親鸞上人の幼少期の場所で、今は法界寺があります

念仏の話になる
「うちの母方は浄土宗なので教義は同じですが
「浄土宗だと念仏は、まぁ、一回でもいいが、多いほうがいい
「浄土真宗だと一回でいいのだから便利になっていますね

阿弥陀仏がまだ宝蔵菩薩の頃
一切衆生を救済する願を掛ける
救済が完了するまでは仏にはならないと誓うのだが
現時点から見ればすでに阿弥陀仏が存在しているわけなので
すでに一切衆生の救済は果たされた
というところに浄土門の救済論理がある

そんな話を
豚のにんにく焼定食を食べながら
他の客がいないのをいいことに
おかみさんとやり続ける
不思議なもので
こちらは翌日母方の菩提寺で住職と話さねばならないことがあるた
法然の大師御法語からの抜粋本を読み続けていて
バッグの中にもそれを忍ばせていた
勅伝からの抜粋が主だが
往生大要抄や念仏往生義や要義問答他からの抜粋もあり
一枚起請文も入っている
以前すでに読んである観無量寿経や無量寿経などは
今回は読み直さないが
法然の大師御法語には法然自身の解釈とレジュメによって
それらのエッセンスが述べられているので
浄土宗の僧と話す際には十二分であると言える

老いているおかみさんは
白髪の前髪をおかっぱに切って
模様の入った布で拵えた頭巾を被っていて
小さい体がやや猫背になっている
中村元の弟子にあたる東大の仏教学者に
浄土真宗の講義を時どき受けているという
「お寺での坊さんの話を聞いてもどうにもなりませんからね
「現代のお寺には仏教なんてないから
たしかに。
浄土門はまだお寺のいい加減な法話でもなんとかなるが
聖道門となるとそこいらのお寺では一般人はアクセスしづらい

おかみさんは目をきらきらさせて
「こんな話をするのが生きがいで
「これで生きていられるようなものです
と言う

このあたりまで話をしてから
これもまた
不思議なもので
客が急に三人ほど入って来て忙しくなってくる
若いビジネスマンとOLや
ジャージ姿の腹の出た中年のおっちゃんだが
こう言ってはなんだが
ビジネスマンやOLがわざわざこの店に入ってくるのも
不思議なものだと思う
他にいくらも彼ら向きのいい店がありそうなものなのに

それにしても
不思議なことというのはあるもの
入らなくてもよかった
といえばよかったような定食屋にふと入る気になって
たまたま数日
法然のテキストを読み続けて
それで頭をいっぱいにしているところへ
親鸞の教えを継ぐおかみさんとこんな出会いをすることになるとは

それがどうしたということでもないが
浄土門の話をすらすらとし合える相手に
このように出会ってしまう確率を考えてみれば
どれほどの奇跡であることかと思う

こんなことが
小さなことながら日々の時空の中にまぶされていて
気づかなければなんでもないが
いちいちのことに気づくようになってみると
日々が驚異で満たされ続けている




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