杉山響子は
『物の怪と龍神さんが教えてくれた大事なこと』*で
心霊スポットとして有名な
「東京北部に位置するK公園」のことを書いている
北区の神谷公園のことだと
すぐにわかった
7年ほどその近くに住んでいたので
北区神谷のあたりのことは
いろいろ聞いたし
たびたび歩きまわったし
雰囲気もよくわかっている
大平洋戦争中にアメリカ軍は
赤羽から王子にかけての軍需工場を爆撃した
神谷のあたりも焦土と化し
神谷公園のあたりに400人ほどの焼死体が埋葬された
昭和26年に遺骨が掘り返されて埋葬され直したが
すべてをきれいに掘り出すのは不可能で
そのまま埋め直されたままの遺骨もあった
後にプールが作られた際には
やはりたくさんの人骨が出てきたという
昭和50年に「大東亜戦争犠牲者慰霊記念碑」が建てられ
公園のすみに残っているという
町名でいえば神谷2丁目にあたり
大ざっぱにいえば
神谷小学校と神谷中学校の間にあるが**
実際に歩いてみれば
特にどうということもない場所で
夜中に歩いても不気味ではなかったし
どうして心霊スポットと呼ばれているのかわからない
この町に住んでいるのでもないかぎり
わざわざこのあたりに行く用事もないはずだが
王子神谷から神谷3丁目にある柏木神社に詣でる時
ちょっと足を伸ばすとこのあたりに到る
いずれにしても
おどろおどろしく騒ぐほどのことはない
杉山響子に同行した霊能者も
このあたりはきれいでなにもない
とはっきり告げている
怪談話も得意だった
亡くなった俳優の小松方正も
『小松方正の霊界通信』***でここに触れていて
昭和40年から50年にかけての10年ほどの間に
公園東側の半径わずか百メートルの範囲内で
30人ほどの人が亡くなったことを書いている
老人が次々亡くなるのは老衰だとしても
交通事故死や山での転落死
自殺や感電死
医師家族4人の引き続きの自殺
プールでの子どもの水死などが連続し
「死霊にとりつかれた町」と言われたらしい
こう見直してみると
ちょっと不気味な地区に思えてきてしまうが
10年ほどで30人が死ぬというのは
べつに驚くほどのこともないのではないかと思う
ある町の小さな区域内で連続すれば
ちょっとは気になるだろうが
それほど奇異と捉えるほどのことでもない
その程度のことは
人間の世ではたびたび起こる
とはいえ
実際に近隣に住んでみて
赤羽まで歩いて行ってみたり
徒歩や自転車でたびたび散策してみたりした結果
神谷という地区や
ぼくの住んだ豊島という地区や
隅田川を渡ってすぐむこうの新田という地区には
独特のさびしさが土地からのぼせてきていて
あの空気の感触はなんども歩いてみないとわからない
そう悪い気がするのではないが
この世の無常を感じさせるさびしさが漂っていて
ここはこういう霊気なのだと感じさせられる
ぼくの住んだのは立派な洒落た公園のようなURで
そこだけちょっとした未来都市のように
人工的に清潔に作られていて快適だった
最寄りの王子神谷駅までは6分ほどで着き
そこから南北線に乗ると飯田橋まで15分
永田町も20分ほどという近さで
便利この上ない穴場のようなところだった
溜池山王も六本木一丁目も麻布十番も
乗り換えなしで一本で行けるので
そのあたりに勤めている人たちには
住むのに絶好の場所だった
物価も安いし気負った格好もしないでいいし
隅田川沿いにはたくさんの桜が咲くし
東京情緒や江戸のなごりが満喫できた
ところが整備されたURの地区や
東京メトロの駅周辺からちょっと外れると
神谷や豊島や新田という地区はさびしい
住宅街で家が建ち並んでいるのにさびしい
自分の住まいや駅はそうではないし
便利だし清潔だし快適だったというのに
周囲の街区はさびしい
そういう落差が王子神谷の特色だった
さびしいといえば
長く住んだ世田谷もさびしい土地だった
北沢も代沢も代田も本当にさびしい
最後に住んだ三軒茶屋2丁目は賑やかだったが
用事で若林や太子堂に行ったりすると
そこらもまたとほうもなくさびしい
妻とともに世田谷を捨てる決意をしたのには
住んでいたマンションが劣化していったことや
住民の質もどんどん落ちていったことが理由だったが
根本には世田谷という土地のさびしさに
どこかもう耐えられなくなったところがあった
どうせ賃貸で住むのならば
広い東京のいろいろなところに住んでみようと思い
30年住んできた世田谷をはっきりと意識して
ぼくは2009年に捨てたものだった
ちょっと大げさな言い方をしてみれば
住む地域から染み上がるさびしさや
じぶんの生き方や感じ方や考え方のさびしさを
世田谷とともに捨ててしまおうと思ったのだった
そうはいっても
じぶんの肌のように馴染んだ下北沢や池の上や
陸の孤島のような代田一丁目あたりや
三軒茶屋の中心部あたりをGoogleマップで見たりすると
心の引き裂かれるような懐旧の情の噴出に見舞われる
とにかく延々と歩きまわるたちのぼくには
そのあたりなら歩かなかった道はほとんどないし
目を留めなかった植物はないし
好奇心旺盛なのでちょっと奇異なものなら
なんでもマーキングして30年間を過ごしたのだ
過去から一歩も踏み出したくないほどの
徹底したパセイスト(過去主義者)なので
どこであれじぶんの過去に関わる場所についてなら
何時間でも何日でも地図や映像を見続けてしまう
アタマの中には永遠に過去の風景が広がり続けるので
地図やGoogleマップだけ見ていればいい
それらが手元になくても過去の道なら
どこをどう行ってどう曲がってどう戻ってと
ぜんぶ繋げて思い出し続けられるので困らない
無限の本や地図帳がもう意識の中にはあって
新たなものを拒むわけではまったくないものの
それら過去のものの見直しをするだけでも
何度もの転生が必要になるほど飽きない
*杉山響子『物の怪と龍神さんが教えてくれた大事なこと』(廣済
**神谷公園周辺は現在再開発中で、稲田小学校、神谷小学校、
***小松方正『小松方正の霊界通信』(主婦と生活社)
0 件のコメント:
コメントを投稿