コペンハーゲン海戦は
今から
つい220年ほど前のこと
1801年
主人公は
イギリス海軍提督ホレーショ・ネルソン
彼の上司は
司令長官ハイド・パーカー提督
懸案事項は
バルト海の制海権を守ること
バルト海沿岸諸国の
ロシア
デンマーク
スウェーデンなどの海軍が
宿敵フランス側につかないようにすること
イギリスは
ここで
国際法上の「緊急避難」を悪用する
まずは
最強のデンマーク艦隊を撃破しておこうと画策
そういう時代なのである
EUもクソもない
まぁ
いまも
似たような
ものか
ハイド・パーカー提督を司令長官とし
イギリス艦隊は
50余隻でコペンハーゲン港へ向かう
20数隻のデンマーク艦隊と戦闘に入ったものの
イギリス艦隊は
デンマークが誇る陸上砲台から
強力な反撃を受け
戦況は不利
ハイド・パーカー提督は
ネルソンに
信号旗で
戦闘中止と退却を命じる
ネルソンは
ここで
世界戦史上有名なあの命令無視を行なう
コルシカ島上陸の際に失明した右目に
望遠鏡をあてて
「私には信号など見えん!」
と叫んで
攻撃を続行
で
撃破してしまう
デンマーク艦隊も
陸上砲台も
独断専行
といえるが
似た言葉もある
独断専恣
独断専横
など
上からの命令に
いちいち従っていられないような
戦いの急場では
上司の意向を的確に想像した上での独断専行は
むしろ求められる
日本海軍では
とりわけ
独断専行が奨励された
独断専恣
独断専横は
自分勝手なわがままな振舞いを指すが
独断専行は
まったく異なった
臨機応変の
優れた軍事的判断をいう
独断専行の英雄
ネルソン
4年後
トラファルガー沖海戦で
マスケット銃の弾丸を受け
ネルソンは
ヴィクトリー号の甲板上で戦死する
死体が腐らないように
乳香と樟脳を入れたコニャック樽に入れられ
ジブラルタルでは
ラムかブランデーを満たした柩に移され
鉛で封印されて
イギリスまで輸送されたのは
有名な話
イギリスに着く頃には
ネルソンにあやかろうとした水兵たちが
スピリッツを盗み飲みしてしまって
空っぽになってしまっていた
というのは
真偽不明
ともあれ
ネルソンの血(Nelson's Blood)
という名のラムは
そこから生まれることになった
そうそう
孫子も言っている
「君命有所不受(君命に受けざる所有り)」*
君主ノ命令ニ従ワナクテヨイ場合アリ
とも
受ケテハナラナイ主君ノ命令モアル
とも
*『孫子』 九変編
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