2017年9月28日木曜日

「それで、なにが変わりますか?」



さあ選挙だとなると
政治に関わっているのでもなければ
意見になんの影響力もないはずの人たちとか
政治学や政治史や政治思想史を多少は学んだ末に
とうとうある考え方や立場に行き着くことになったというわけでもなく
政治についての根拠ある定見もなさそうな人たちまでが
あれやこれや言いはじめて
いつもながらのかしましいおしゃべりとなる

最近はネット上の伝言板があれこれあるもんだから
政治的にまったく無名の人たちが大はしゃぎ
政治のことならなにもかも分かり切っているといわんばかり
自信たっぷりに熱烈に持論を展開したり
政治情勢観察や分析や批評をしたりするのならば
自分が立候補すればいいのに
そうでなくともどこかの党員になって本当に働いたらいいのに
と思うのだが
そうしないで書き込みばかりしているのは
なんでかな?

国民こそ主権者なのだから
自分たちがあれやこれや言うのはあたり前じゃないか
むしろあれこれ言い続けないといけないんだぞ
というわけで
そりゃあもっともにも聞こえるけれど
主権者たる国民というのは
じつは
個々のあなたやわたしのことでは全くないのだというところに
近代民主主義代議制のおそろしい事実がある
国民nationとは集合名詞でしかない
国民とは結局のところ与党であり政府のことで
どこまでいっても
腰をまげてヘラヘラ作り笑いして
権力の裾野に掌を擦り擦りしヘイコラしていかないような
そんな
あなたやわたしは
制度の実質的運用上の事実として
近代民主主義代議制からは
無視され続けていく

もちろん
だからこそ
あれやこれや言って
いつもながらのかしましいおしゃべりとなるのはあたり前じゃない
投票数という抽象的な数字として扱われるのを除けば
ほかに政治という舞台に関わる方法は本当はないのだからな
という
破れかぶれの一場の狂い舞いをしたくなる気持ちも
わからないではないものの

けれどね
もう何十年も見てきたんだ
同じ光景
同じ騒ぎっぷり
…なにかいいほうへと変わりましたか?
その時代時代の人々の
口角泡を飛ばしての騒ぎっぷり
議論に次ぐ議論
路上に出て
議事堂前に出ての
日夜を通して大声張り上げての期間限定のヒーローっぷり
…なにかいいほうへと変わりましたか?

思い出すのは
ブルボン正統王朝主義者の貴族
保守中の保守の立憲主義リベラリスト
ルイ18世治下に外務大臣なども務めながら
時代錯誤の頑迷な極右王党派らに抵抗して
印刷出版の自由のために身を挺して戦い続けたシャトーブリアンの
1848年の二月革命勃発の報を聞いての一言
「それで、なにが変わりますか?」



『シルヴィ、から』 28

 複声レチタティーヴォの連続のみから成るカンタータ叙事詩
 [1982年作]   

 (第十七声) 2

   (承前)

 朝食をみんなが終える頃、責任者の一人から、今日は全員で遠足に出かけるということが発表された。
二台のバスに分乗し、小さな丘の連なる、なだらかな起伏に富んだニューフォレストという野原の広がりと、そこから少し離れた古い町ウィンチェスターとをまわる予定だった。その二つの場所がどのようなところで、また、そこでなにをするのか、なにをするためにそこへ行くのかということの説明も同時になされたかもしれないが、声はわたしのところまではよく届かず、詳しいことは聞き取れなかった。隣りにいた友人に聞いたが、彼にも聞き取れてはいなかった。「いいよ、どうにかなるよ」と彼は言った。
 バスに乗り込むと、わたしは中ほどに座り、まわりの様子を見まわした。
確かにバスは二台で、わたしの国でよく遠足や修学旅行に使われるものと同じ型だった。窓が開かない点が、著しく日本のものと違っていた。運転席のフロントガラスがそのまま伸びてバスを包んでしまったようになっていて、この形状は、バスに酔い易いわたしに絶望的な感情を抱かせた。
しかし、かわりに、このバスは空調が完備されていた。この国に来る前に立ち寄った他の国々、イタリアやスイス、フランスで乗ったバスもこれとほぼ同じものだったのを思い出した。あの時も、やはりバスのこういう形状を見た時には意を決して乗ったものだったが、結局は快く過ごすことができたじゃないか、ーー酔いを避けるために、前もって意識的に自己暗示をかけようとして、わたしは努めてこういう思いを心に深く刻もうとした。
その時、ほぼ時を同じくして、この思いの裏側かどこかから、全く突然に、イタリアの首都近郊の空港で飛行機を降りた時の空の輝きが、ーーはじめて目にしたその国の朝の空の、あの色濃い底知れない海のもののような深い輝きが滲み出てきた。その余りの眩しさに目を絞ると、巨大な老人の像が視野の中へ流れ込み、またすぐに流れ去ってしまうのが見えた。
わたしたちはバスに乗って空港から首都へ、ローマへと向かう道路へ抜けるところで、たった今、その空港のシンボルとなっているレオナルド・ダ・ヴィンチの巨像の傍らを横切ったのだった。
空港を後にして、わたしたちはいよいよ、わたしたちにとっての初めてのヨーロッパであるイタリアの中へ、ローマという古い都の中へ、いや、そのように場所や空間としては捉え切れないわたしたちの一か月の旅行の中、目まぐるしい場所の移動の連続の中、ひとり継続する時間だけがわたしたちをわたしたちとして認めて追いかけてきてくれるような日々の中へと踏み入るところだった。
やがて時間が経ち、予定通りに大陸から海を渡ってイギリスに到り、そこで十日ほど合宿生活をすることになるのだろうと、その時のわたしは思っていた。
今のわたしは当のイギリスにいる。
そして、ここの青年たちとのその合宿も、これまでのわたしの過ごした十数年と同様、いくらかの思い出を残す他はなにをわたしに得させることもなく終わって行くのだろう、と予想している。
おそらく、眩しい空のあの最初のイタリアでの初めての夜には、これからの一か月への期待とともに、その一か月の過ぎた後に抱くであろう感慨をも、はっきりとわたしは心に描き出してしまっていたのではなかったか
「……わたしはヨーロッパを駆けまわってきた。わたしは16歳だった。しかし、それだけだ、わたしはなにひとつ変わらなかった」。
   いずれは、このようなことを誰かに語ることになる程度でこの旅行体験も終わっていくに違いない、と想像していたのではなかったか。
 ……いろいろな国々からのたくさんの旅行者たちに交じり入って、夕刻の時、人々がおのおのの影を、足元や、壁に寄り掛かった背の裏に敷き延べる広場、その広場の階段のある一段に腰を下して、涼んでいるわたし。友人たちの後に付いて、初めての異国の町の夜をいくらかびくびくしながら歩いて行くわたし。トレビの泉で、うしろ向きに硬貨を投げ入れる友に冗談を言いながら、たった今、傍を歩いていった数人のイタリア兵たちが背負っていた自動小銃の筒先を眺めるわたし……
このままにしていれば、さらにたくさんの「わたし」たちがやってくることだろう。その向こうの町からも、あるいは巨大な氷河に反映する夕陽に赤く染まる山の町、山々を越えた向こうの大きな湖の傍らにあるお高くとまった町からも、それともまた、世界中にその名の喧伝されている文化の坩堝たる石の都からさえも
あの朝、小さな女の子と知り合って、その数分後には永遠にこの子と別れてしまったシャモニーでのわたしはどこへ行ったのだろう。
モンパルナスの墓地からの帰り、暮れていく陽の中で、道に迷ってひとりで彷徨った暗い石の都パリでのわたしは、あの後、どうしているだろう。
風の静かに吹き渡る湖の中の島で、ルソーの像の傍らのベンチで、上着の前をぴったり合わせて二時間も座ってぼんやりとしていたわたし、ノートルダム寺院の裏庭で転びそうになって、居あわせた初老のアメリカ人たちに笑われたわたしは、今もあそこにいるのだろうか。
このわたし、このウィンクフィールドの合宿所の門のところで、今バスに乗り込んだこのわたしは、一体誰だろう。
これはあの眩しく深い空を見上げたわたしだろうか。
街から街へとまわったわたしがここに流れ来たのだろうか。
細い体をした日焼けしたわたし、この頼りない少年に本当にすべてが流込んだのだろうか。

 (続く)



2017年9月26日火曜日

『シルヴィ、から』 27

 複声レチタティーヴォの連続のみから成るカンタータ叙事詩
 [1982年作]   

 (第十七声) 1
 

       ……未来、あるいは思い出。このふたつに合わせて現実までもが、この時ばかりはひとりの娘の中に凝集されていたのだ。わたしの未来、わたしの現在、そして、過去。今から見ればすべてが過去。その過去の中のあの日から見れば、続く日々は未来、はじめて会った日々は過去、あの日自体は現実のまさにその時。
どこからとも知れず響いてきていた声たちの言うところが正しければ、この日はすでに6日目、余すところ4日の7月29日か。
わたしもまたこの土地に来ていたのだ、声たちよ。
そもそもおまえたちはこの日、どこに居たのか?
おまえたちは私なのか?
これまで響いていたおまえたちの声は、あれは、私の声だったのだろうか?もしわたしの声だったとしたら、あれはおまえたちの声ではなかったということになる。
もしおまえたちの声だったならば、あれはわたしの声ではないということ。
おまえたちといい、わたしという、どうしてこういう違いが生じたのだ?
どうしてわたしたちがおまえたちでなく、おまえたちがわたしでなかったのか?
ある地点からこちらへ来るとわたしとなり、向こうへ行くとおまえたちとなった、そのある地点とは一体どこだ?
そして、そういうことの起こったわけは?
冗談や芝居でないのならば、理由があるはずだ。
理由とは根底、根拠、あるいは原因の謂か、ーー本当か?
理由とは象徴ということの別名ではないのか?
まあ、やめておこう。理由とは根底、そうしておこう。その根底がいつもわからないのだな。わかるのは、認めることのできるのは、根底から流れ出た道の果て、瑣末な情景たち、物事の現われ、様々な現象だけだ。それだったら、多少口べたにでも語りうるのだ。わたしのこの日の出来事を、いや、この日というわたしそのものを。
それでは、語り始めるとしようか。

  (続く)



2017年9月25日月曜日

選択に次ぐ選択の頂点に

 
あれがいい
これがいいと
人はいろいろなことを言っている
おいしいのはあの店だとか
この映画は面白いとか
この本はぜったいに読むべきだとか
これをすべきだとか
あれをすべきだとか

でも
それらはみんな
ぼくがやるのを中断してきたこと
ぼくが捨ててきたもの
ぼくがやらないように迂回してきたもの

ぼくにとってのぼくは
なんといわれようが
もっとも効率的でもっとも効果的
もっとも享楽的で
もっともゴージャス

選んできたもの
選ばないできたもの
それら
選択に次ぐ選択の頂点に
やっぱり
今のぼくはあるから



ぼくはあり続ける


他人によく思われようとしないで
言葉を並べ続けていく人たちは貴重で
そんな書き方をする時にだけ
かろうじて言葉に載り
文字に跡の残っていくような思いや
気分といったものが
けっこういっぱいあるのだ
どこまで行ってもわけのわからない
この不可思議の宇宙には

誰になんと言われようとも
誰ひとり読まないとしても
そんな文字の並びの読み手で
ぼくはあり続ける

知ってもいるのだ
そうすることが無駄であるどころか
人間の最後の最後の
真に価値ある行為なのだと




異常なおそろしいさびしい不可思議な寓意画を

 
その展覧会には
名作だの
有名な絵だのといっても
30から40センチ幅の絵が多く
おおぜいの人が集まる場所で見るには
ちょっと小さめ

列を作って
ならんで見れば
いくらかはよく見えるが
そんな見方を律儀にしていたら
いったいどれくらい時間がかかることか
だから
人びとの列の後ろから
のぞき込んだり
目を細めたりしながら
サッサッと見てまわってしまう

ところが
そんなふうに見てまわるうち
群集して人びとが絵に見入っているさまが
期せずしてなんという寓意だろうかと
そちらのほうにこそ
感心させられてきてしまう

ずいぶんひどい誤魔化しだらけの
政治や経済や行政や食品や
それにくわえて
原発事故処理などのおかげで
これからいよいよ危うくなるばかり
心ぼそくなるばかりの
とある秋の日曜日
ボスやブリューゲルの寓意画に
ずいぶん生まじめに人びとは見入っているが
これこそがなんと
異常な
おそろしい
さびしい
不可思議な光景だろう

暗い絵…
という言葉を
ひさしぶりにふと思い浮かべ
なんだったかな
と記憶を探るうち
あゝこれは野間宏の
あの小説の題名…と思い出し
学生時代には必読書で
読んでいないのが恥ずかしいほどだったのに
今ではもう
そこらの書店には見つからない
忘却のかなたの本のひとつと
なってしまって…

それが
かえって
黒光りする玉のように
記憶の奥で輝き
とある秋の日曜日
ボスやブリューゲルの寓意画に
ずいぶん生まじめに見入る人びとの光景という
異常な
おそろしい
さびしい
不可思議な寓意画を
ふたたび照らし直してくれるように感じる



『シルヴィ、から』 26

 複声レチタティーヴォの連続のみから成るカンタータ叙事詩
 [1982年作]   

 (第十六声) 3

 (承前)


 ……俺はいま女を蹴っている。
体と心が離れてしまったかのようだ。
きっと、長いこと、こうして蹴り続けているに違いない。
この女の腹へ、あるいは首のやわ肌へ、俺は靴の先を何度もめり込ませてやった。
この女、この娼婦、……こいつは俺の金と欲望をすでに掏ったのだったか、俺はこいつの部屋から出てきたのだったろうか。
それとも、これからか。
夜もさらに更けて、街の静けさという不思議なものが、この世をいやまして支配する頃、ーーあゝ、その頃、この娼婦とともに部屋に上がるのならいいが。
そうでなかったら、どこかへ、この街の闇のどこかへこの身を紛らわさねばならない。耐えがたいことだ、それは。
俺はなぜこの女を蹴っているんだ?
理由があったのか?
……もう忘れてしまった。
そして、俺はいま、どこにいるんだ?
この石畳の路地、すぐ先には底知れぬ坂。
この坂を下って行こうか。
行こう、しかし、どこへ?
蹴り続けるしかないのか?
蹴り止めたら、どうしていいかわからなくなるからな。
おや、女の脇で倒れたものはなんだ?
ーー空き缶。
大きな空き缶だ。まるで芝居の景気づけのように自らを喝采しながら、雨とも犬の小便とも知れぬものに濡れた坂を転がっていく。
この響きはなんだ?
俺を苛立たせる響き、空き缶が俺を笑うのか?……それにしても長い坂だな、この響きを言葉で真似てでもやろうか、そうすれば救われるかもしれない。
……なにから?
この響きからか?
あの空き缶からか?
それだけか?
……この響き。
この喧しさに腹を立てる者は、この静かな闇の中には一人もいない。
沈黙が、俺を嘲笑ってでもいるようだ。
これは劇か?それとも夢か?
いやいや、人生だ、……な。
これが俺の人生だ。
女も泣かない。
いや、泣いているのかもしれないが、もう、俺には聞こえない。
胃の壁を掘り抉りでもしたようなこの陥没、俺というもののこの陥没は一体なんだ?なにが悪いのだ?空には星があるか?
いや、無くてもいい。俺の過去が見た空には星があったからな。十分だとも、あれだけで。
……なにか知れぬ情景がまた蘇ってくるようだ。
勝手にするがいいさ。
だが俺はどうなるのだ?
自分の頭を、誰のものとも知れない風景、思い出とも幻とも知れない情景に奪われて、この俺は一体どうなるのだ?
おや、……バスが?
情景の中に現われたこのバスはなんだ?
俺はバスに乗ろうなどとは思わない。
なんだ、これは?
ハイキングか?
まったく、いい御身分の子供たちよろしくだが、もし、これが俺に関係あることだとすれば、昔のことだな。俺の昔、昔の俺。遠い異国まで旅行をしたのなら、その旅先で小さな遠足をするのもなるほど乙なものだ。
だが、そんなことが今の俺になんの関係があるのだ?
俺を俺でなくす力、この声、内部から浮かび出るこの声は、一体なんだ?
おまえは誰だ?ここは俺の頭だ。頭でなければ心。心でなければ魂。魂でなければ世界。世界とはすなわち……

 (続く)



2017年9月23日土曜日

時間というものの本質に


昔のことなのに
ふいに
今頃になって
もう昔ではないのに
昔のその時間ではない今頃になって
こんなに間近に
ドアをほんの少しさらに開けば
そこにありありと展開している光景のように
蘇ってきている
ーーのではなく
ある!
ある!
ある!
ほんとうに!
大きく膨らんできて
顔にぴったり接してきている風船のように

こんな時
わたしたちは近いのかもしれない
時間というものの本質に
過去が過去でなどないということの真実に

現在はたゞ広場のようなもので
その気になれば
四方八方に
身軽にちょっと歩いていく気にさえなれば
どの過去にもすぐに
もう一度
二度三度
何度でも
行き直すことができるということに



『シルヴィ、から』 25

 複声レチタティーヴォの連続のみから成るカンタータ叙事詩
 [1982年作]   

 (第十六声) 2

 (承前)

   「シルヴィ」とおまえは言う。
そうか、それが娘の名か……
まずいぞ、こりゃあ。
まずい、まずい、いいこたぁねえぞ。
おまえは坂に差し掛かってんだ。しかも下り坂だ。
娘は顔を上げる。
おや、微笑んだな?おまえに。
……いいか、考えてもみろ。自分に声を掛けた者に、取り立てて嫌な顔をする必要もねえ、というだけのこった。いろんな意味が微笑みにはあるんだからな。おまえ、正しく意味を取りたければ、せいぜい経験を積むがいいんだが、…

「なにを読んでいるの? ……小説?」
 ーーふん、おまえばかりが言葉を吐く。
大事にしろよ、言葉たちを。
現実がおまえにつれなくした時に、言葉だけがおまえを慰めてくれるんだ。せいぜい言葉たちに良い糧を与えて手なずけておくことだ。
忘れるな。この世のすべては言葉。少なくとも、人間の世の中という奴の土台は、ただ言葉だけ。
他にはなにもねえんだよ。なにもねえのに、すべてがあると思い込むのが人間たちの可愛いところ。
社会がおまえに媚を使ってくれるうちは、人間たちのその盲信を認めておいてやるがいい。社会がつれなくしたならば、すべては無いと知らせてやれ、嫌というほど徹底的に。
いいか、在るのは言葉、言葉だけだ。せいぜい可愛がっておくんだな。

 おや、娘は頷いたな。
ならば、娘の読んでいるのは小説というわけだ。
しかし、頷いただけだな。
もうおまえを見向きもしない。微笑みも消えた。

おまえはなにをしているんだ?
雲を見上げているのか?
雲を見るのに、娘の傍らに来て座る必要のあるものか。
おまえは期待していた。
娘がもっと打ち解けてくれるもの、と思っていたらしいな。
馬鹿め、昨日だか一昨日だかに、おまえは騙されたな。
微笑みや眼差しの安売りに引っかかったというわけだ。
安心しろ、この娘、特別におまえを憎んでいるようでもないからな。
人間の関係など、それだけで十分だ。
わざわざ的を絞られて、煮え滾った油かなにかのように憎悪を注がれるのでないならば、それはもう、十二分にも幸福というもの。

ーーおや、娘が立ち上がった。
「さようなら。ちょっと用事があるの」。
なんだ?
その微笑みは?
いま、おまえが娘の言葉のお礼に浮かべたそれ、その微笑みは?
もちろん、これだけ言葉を投げてもらえば、上出来というものだ。大切な言葉をお恵み下さったんだからな。感謝しなければならねえさ。おまえの中で、そのうち、落胆と悔恨という、しぶとくも興味深い人間学的研究の対象とさえなり得る高等な草が、逞しくこの言葉から生い立つだろうからな。
なんであろうと多くを持っていたほうがいい。喜びであろうと、悲しみであろうと、ーーいやいや、そんなこそばゆいものには俺さまの心、もう長いこと付き合いが絶えちまってるが、そうでなくとも、あるいは臭え淫らな欲望とか、乞食の涎のように糸を引く心の底に溜まった黒い泥のようなものであろうとも、まあ、いっぱいあるに越したこたあねえってことよ。

娘は行ってしまった。
嘆くな。
だいたい、なにが欲しかったのだ?
心か肉か、それとも、他の珍味か?

肉ならここにあるぞ、俺のこの足下。
ここに、薄ものの浅ましい衣をつけた肉が転がっている。
この肉の野郎、髪に色なぞ付けやがって、それを振りしだいて俺の脚にしがみつきやがる。
一体、これはどういうことだ?
俺はなにをやっているんだ?
夜の沈んだ街の中、この湿った路地の上で、黒い生き物のように家々が並び、すぐそこに突き出ている灯は、風かなにかに揺らめいている。
まるで息でもしているかのようだ。
この女の動きはこんなにも激しいのに、ここから生まれるのは個体のような静寂だ、それに加えて、女の体から立ち上るこの靄。

……俺はどうやら酔っていたようだな。
突っ立ったまゝ、夢を見ていたかのような……
どこかで見たような娘の夢?
一体、誰だろう?
俺にとって一体なにに当たる娘だったんだろう?
ともかくも、しばらくの間、なにやらずいぶんと下卑た言葉で語り続けていたようだ。俺の言葉ではない何者かの言葉、だが、ひどく滑りのいい言葉だったな。
夢だったのだろうな、やはり。
夢の中で、何者かが語ったのだろうな。

……それともあれが俺の本当の声?本当の言葉なのか?

とするなら、この俺はなんだ?
この言葉たちはなんだ?
さっきのものに比べて急速にこの言葉たちは生命力を失っていくようだが、戻ろうとしても戻れないこの変貌は、なにによるのだ?
本当の俺の声は、一体、どれなのだ?
俺が俺であるためには、一体、俺はどの俺を装ったらいいのだ?…

 (続く)




2017年9月22日金曜日

『シルヴィ、から』 24

 複声レチタティーヴォの連続のみから成るカンタータ叙事詩
 [1982年作]   

 (第十六声) 1


 …叩くのは誰だ、
出来のいいとはいえねえこの頭、
まったく、
そのために昔から持ち主ときちゃ苦労させられ詰めで、
その上、
屈辱の受け通しだったんだが、
とにかくもそいつの内側から華奢な頭蓋の壁を小突くのは何者、
突然、天をきりきりと裂く稲妻のように、
ーーまるで女のいいとこみてえに人の動きをハッタとばかし脅かすもの、
気がつくといつの間にか目の前に浮かび上がってきている、
昔の文字に覆われた朽ち残った木板、
ーーまったく、垢に塗れた陽物よろしくネトネトと崩れんばかりだがよ、
それとも、
扉を開けてみると、歯の隙で残り腐った食物の毒の気を吐く、
起き抜けの女の息ほどにも湿った夜風の、
その嘲笑ばかりが吹き込んでくる深夜の謎の敲門、
ふん、
馬鹿野郎、
今開いたのは門だぜ、
門、
あっちじゃねえんだ、
血の管が、
ーー無数の親愛なるわが生物一族の兄弟の黴菌どもの通り道たる血管が、
頭のどこぞで切れたのでなきゃあいいが、
あるいは淋の野郎のあの白糸よろしく神経が涙にほぐれちまったのかもしれぬ、
なににかって涙にさ、
表に洩らすことなく内へ内へとひたすら隠し続けてきた涙にほぐれちまったのかもしれねえってんだ、
だとすればよ、
限界が来たんだな、
その神経のとろけほぐれたところから、
泡のようにも幻のようにも妙な情景がぷつぷつと怪しい出来物みてえに浮き立って、
どこか知らねえが頭ん中に霧のように、
いや、
濡れた路上に流れる反吐のように広がって行きやがる、
これはいってえなんだってんだ、
どこのことだ、
え、
人間様がてえねえに大地に植え込んだようにやわらかに芝生が広がっている土地らしいな、
広いところだ、
青い空、
それに加えて、
苦しみの中にいる者を救うことのできるほどにも白い、
まっ白い密度の濃いたくさんの雲か、
涼やかな微風が娘の金の髪たちの命を悶えさせる、
ーー娘?
まったく、どうも、ちょっと頭の調子がおかしくなって来やがったようだが、
なんだか俺が今の俺でなくなっていくような妙な、
それでいて、
ずいぶんといい気持ちだが、
だが、
だが、
だからと言って、
この娘がいったいどうしたってんだ、
誰なんだ?
この緑の地に点在している樹木の若い一本の下、
無造作に投げ出されているのが愛らしくもあるベンチに腰を下して本を読んでいるこの娘のことよ、
雲のように白い服、
雲のように広がっていこうとするこれもまた白いスカートが、
脚を大きく組んだしどけない寛ぎのさまを清潔さと可憐さとで覆って婀娜な外見を作っている、
そうして、
……娘に近づいて行くのは誰だ?
おや、俺だ、
この俺じゃないか、
いやいや、
俺がどこかの時間の中に置いてきちまった懐かしい姿だ、
昔は俺のものだった俺の姿、
今じゃ他人ほどに遠い俺の過去、
過去よ、
この糞野郎、
語るのか、
この美しい娘に、
なるほど、
手に入れるには持って来いだ、
涙を抑えてその金の粘土のような髪でも引っつかみ、
この大空の下にばっかり押し倒して闇を作るにはな、
ところがおまえは今の俺にや薬にもならねえ紳士的な御心の持ち主のようだ、
いや、
正確に言えば臆病者、
意気地無しのおとこ女ってとこだ、
ふん、
どうだ、
え、
だから、
手荒なことはすまい、
できねえんだからなあ、
逆に手荒なことを娘から、
いや、
娘の幻から一生され続けるかもしれねえぞ、
注意しろよ、
おまえ、
俺の過去よ、
え、
そういう娘が男の一生を狂わすってことをおまえはこれっぽっちも知らねえようだからな、
やめとけってんだ、
やめておけ、
たかが女、
飾り立てた肉の揺らめき、
金さえあれば、
いいや、
無くたって、
いざとなりゃ、
首っ玉ふんじばる度胸さえできてりゃよ、
おまえ、
そんなもの、
街にはうじゃうじゃと居やがるんだ、
こんなものの中にまで暗闇の道を探ろうとする必要はあるまいに、
……馬鹿め、
娘の前まで行き着いてしまった、
なにを言う気だ、
今からでも遅くはねえ、
戻って来い、
遅くはねえって、
手遅れなんてことはこの世にはありゃしねえんだ、
人間はよ、
後戻りする時にだけ積極的になりゃいいんだ……

(続く)