2017年9月6日水曜日

『シルヴィ、から』 8

 複声レチタティーヴォの連続のみから成るカンタータ叙事詩
 [1982年作]   

 (第六声) 3 


翌日、朝食の後、その日一日の計画が発表された。礼拝の後、9時から会合が開かれ、その時に班分けがなされて、それ以後、最後の日に至るまでその班別でゲームや競技が行われるということだった。
東・西・南・北の四つの班のうち、わたしは東(イースト)班に入れられ、緑色の襷を与えられた。他の班には、青・赤・黄の襷がそれぞれ配られたが、どの色がどの班を表わすのか、わたしには最後まで覚えられなかったし、覚える必要も感じなかった。ともあれ、この班分けによって、ーーある友の言うのによれば、いよいよ特定のガールフレンドを決めることが容易になってきたのだった。
「そりゃ、確かに、範囲が限られてしまうという難点はある。それに、他の班の女の子が好きになった場合、やっぱり不利だからね。でも、逆に言えば、あの子は何班だから、今どこどこへ行けば会える、っていう察しもつくというわけさ」
 なるほど、そういうものか、とわたしは頷くのだった。
わたしたちの間には、全く、うんざりするほどにこういう雰囲気と会話が満ち満ちていた。ほとんど誰もが他愛ない恋の予感にうきうきとしていた。
わたしの心も開かれつつあったのは確かだ。
ここでは、いわば、恋することが最高の美徳だった。誰もが周囲を見まわして好ましい相手を見つけようとしていた。軽い挨拶のように、好きだよ、と告げることができそうだった。相手が好いてくれるかどうかは、これはまた、もちろん問題ではあるのだが、それはしかし、後の問題、全く別の問題だった。誰もがくったくなく動きまわっていた。わたしたちは今、正真正銘のひとつの楽園にいるのだった。
こういう状態が永続するわけはない。
永続どころか、限定された領域内でのただの10日間ほどのことであり、それだからこそ、いかにも寛大なふうを見せて世の中が許したのだと考えると、どこかに必ず隠されているに違いない世の中の監視の目に対して、せめて必要最小限の仮装だけは怠りなく付けておかなければならないと思うのだった。
 昨夜の娘が同じ班にいることに、わたしは早くから気づいていただろうか。
気づいていたかもしれない。
が、わたしは見向きもしなかった。
彼女はわたしにとって「昨晩いっしょに踊った人」でしかなかった。
しかし、あまり意識しないようでいながらも、わたしはどうやら、じつに詳細に彼女を観察していたようだった。
彼女はいつも、片隅でひとりで煙草を吸っていた。それも、まるで厳しい女教師のように真っすぐな姿勢で吸っているのだった。椅子に座っている時など、じつに見事なもので、煙に浸っている間は体を歪めることなど全くないといってよかった。あらゆる部分に注意が行き届いていた。両の手のひらは必要のある時以外はつねに固く結ばれていたし、背筋の直線を受けて首も真っすぐに保たれ、顎は適度に引かれていて、決して前には投げ出されることはなかった。脚を組んでいることが多かったが、上に組まれたほうの脚、つまり地を離れているほうの脚の爪先は鋭く地面に向い、脚の全体像をできるだけ完全な直線に近づけようと意識的に努めているかに見えた。
こういう姿態から時おり微笑みも投ぜられたのだが、それは他の娘たちのものとは似ても似つかぬ、甘えと感情の無駄の全くない厳しい微笑みだった。
最初の晩、この娘が無造作に脚を組んでいたと見えたのは、あれは見誤りだったかもしれないとわたしは思うようになっていった。いや、あの晩の印象もまた本物だったのかもしれないと思ったり、あの時のほうが真の姿なのかもしれないと決めつけてみたりもした
いずれにしても、こういうことを考えるようになったのは、最後の日も間近くなってきてからだった。それまでは、この娘を見るたびに、これは厳しい母親になるだろうと思っていた。その厳しい母親になった彼女自身に、かつて自分が育てられたことがあるような気持ちをわたしは持っていた。


(続く)


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