2017年9月6日水曜日

ほら、これ ここに


  
いつか思い出されるための時を
いま
生きている
などと思うならば
いつか来るそんな時の後ろだてや介添えがなければ
この「いま」は
自律した価値を持てないことになる

かといって
いまを生きる
などと
勢い込んでみたところで
その「いま」と
「生きる」とが
すっかり分離してしまっているのは
あからさま過ぎ

とにかく
言葉は
たやすくは
ものを表現させてはくれない
なにか
言い表わそうとした時
もう
分離のただ中に投げ込まれている

そこで
言葉を捨てよう
沈黙しよう
というのは
ありがちな選択
しかし
ただ口を閉めてもしょうがない
意識の中でぶつぶつ泡立つ
あれらの言葉たちが
おのずから黙ってくれるのでなければ

分離も
そう目の敵にしないでも
たぶん
いい

離れて
すっかり距離を取って
そうして
つぶさに見つめ直し
つぶつぶ
言葉でたどり直したりすると
逆に
壮絶な同一化が
起こったりもする

…ちょっと
めんどうくさくなって
来たかな

ほんとうは
なにを言おうとしたか
なんて
どうでもいい

言葉並べなんかをしながら
大事なのは
時間を体験すること
だけ
なんだから

時間というと
すぐ
流れていく
経った
なんて
みんな思うけれど

ほんとうに
流れただろうかね
この時間
透明な球体のように
蠢きながら
ここに
浮かんでいるんじゃないかな

ほら、これ
ここに

これ



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