複声レチタティーヴォの連続のみから成るカンタータ叙事詩
[1982年作]
[1982年作]
(第五声)
愚かな嘆きの声が聞こえる。
近い声よ、なにひとつ過ぎ去りはしない。
時は流れず、ただ水が河を下り陽がめぐり、 大気が風を生むだけだ。
ひとは生まれるかに見え、死ぬかとも見える。
時が流れるのを欲したのは誰だ?
その者のうちで時は流れ、すべてが過去という棚に仕舞われる。
しかし、その者は生まれたかに見え、生きていたかにも見え、 死んだかにも見えただけだった。
嘆きの声よ、過去のかたちで語ることは、 すべてを手の届かぬ昔へと流し去ってしまうことではない。 過去形は生や光景の拡散を防ぐ封印だ。このかたちで語る時、 すべては永遠に蓄えられ、生き続ける。もし、 時が流れると思いたいのなら、思えばいい。しかし、 なにが流れるのか、時とはなにか。流れるものがあるとすれば、 この大河はおまえを流す。 おまえの過去をもともに流してしまうことになる。 それにもそれなりの幸福はあるというものだ。 流れることの幸福を知っているか? いろいろなものがやってくるぞ、 いろいろなところへ行きもするのだ。
だが、違う。
時の流れとは、本当のところは、 壜に蓄えられた古の水のようなものなのだ。
「あの時も、わたしは期待していた」、と。
見ろ、こう言うことでわたしは壜の中、 封印の中に生き続ける過去へと入ってゆく。
すべては現在となって、血が通う。
いや、血が通っていると気づくのだ。
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