2017年9月3日日曜日

『シルヴィ、から』 5

 複声レチタティーヴォの連続のみから成るカンタータ叙事詩 
 [1982年作]

   (第五声)

 愚かな嘆きの声が聞こえる。

 近い声よ、なにひとつ過ぎ去りはしない。
時は流れず、ただ水が河を下り陽がめぐり、大気が風を生むだけだ。

 ひとは生まれるかに見え、死ぬかとも見える。
時が流れるのを欲したのは誰だ? 
その者のうちで時は流れ、すべてが過去という棚に仕舞われる。
しかし、その者は生まれたかに見え、生きていたかにも見え、死んだかにも見えただけだった。
嘆きの声よ、過去のかたちで語ることは、すべてを手の届かぬ昔へと流し去ってしまうことではない。過去形は生や光景の拡散を防ぐ封印だ。このかたちで語る時、すべては永遠に蓄えられ、生き続ける。もし、時が流れると思いたいのなら、思えばいい。しかし、なにが流れるのか、時とはなにか。流れるものがあるとすれば、この大河はおまえを流す。おまえの過去をもともに流してしまうことになる。それにもそれなりの幸福はあるというものだ。流れることの幸福を知っているか? いろいろなものがやってくるぞ、いろいろなところへ行きもするのだ。

だが、違う。
時の流れとは、本当のところは、壜に蓄えられた古の水のようなものなのだ。

「あの時も、わたしは期待していた」、と。

見ろ、こう言うことでわたしは壜の中、封印の中に生き続ける過去へと入ってゆく。
すべては現在となって、血が通う。
いや、血が通っていると気づくのだ。




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