2017年9月7日木曜日

『シルヴィ、から』 9

 複声レチタティーヴォの連続のみから成るカンタータ叙事詩
 [1982年作]   

 (第六声) 4 


10時半から球技が広いグラウンドで行われた。
クリケットで、この国特有のスポーツだった。
そういうものがあると知られてはいても、わたしたちの国ではほとんど普及していないものだった。それほど難しいものではなかったので、わたしたちは軽い気持ちで参加できた。
だが、この球技は、わたしの友人たちにはあまり評判のよいものではなかった。こちらがルールをよく知らないためもあるのかもしれないが、このゲームはあまりに合理性に欠け、緊迫感に欠け、曖昧に過ぎると見えるところがあった。まして、男女混合で純粋にお遊びとして行われたのだから、なおさらだった。
運動がさほど得意でもないわたしにとっては、それも悪いことではなかった。試合の間のほとんどを、あまりスポーツらしい動きも要求されず、芝生の上に立って守備につくか、腰を下して打順を待つかして過ごせるのは、なかなか快かった。
肉感のある流れゆく雲と、うるんだような穏やかな空の色が目を楽しませた。
この国の娘たちの栗色の髪に目を移したり、近くにいる者とこの国の言葉で舌足らずの会話をするのも楽しかった。
重い綿雲のように、時間はゆっくりと流れた。

午後は、夕食までの間、自分の好きなスポーツを行うことになっていた。
器用に動けば体力の不足を補えるということで、わたしはバレーボールを選んだ。
起伏のある芝生の上にふたつほどコートが作られた。なにもかもがいい加減なものだった。この国の青年たちはあまりこの球技には馴染んでいないらしく、その動き方はわたしよりもはるかにぎこちなかった。いつの間にか試合などはいい加減に放り出されて、彼らに対するわたしたちのバレーボールの指導が始まった。もっとも、日本に帰れば他人にスポーツを教えるどころではないわたしは退いて、邪魔にならないようにコートの傍らに座った。
やがて、また試合が始まる。
わたしは自分のチームの番が来るまでずっと同じところに腰を下したまま、隣りに座っている友と話をしていた。

その友によって、この国の隣りの国フランスの娘たちも此処に来ていると教えられたのは、すでに、おまえ、わたしの前を流れた声たちのひとりが語った通りだ。
確かにおまえが語ったように、あの前触れのような出会い、後にわたしの生に明確な方向を与えるようになった存在との出会いはなされた。

どんな出来事もいつの間にか始まっている。
それに気づいた時には、すでにどうにも抜け出せない流れの中にいるものだ。
すべては決定されてしまっている。
翌日からわたしに与えられる幾つかの出来事と、それらによってやがて苦しめられるわたしの想像力とその成長とを、この時のわたしがどうやって予知し得たというのだろう。
わたしの回想は、後に続く記憶の中の、ことに美味な事柄だけの間をはやくも断片的に飛びまわろうとする
そうした脈絡のない回想が、ーー自然な再生にまかせた意識的でない回想が、はたして今のわたしを幸福にしてくれるだろうか、今のこの状態からわたしを解放してくれるのだろうか。



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