2017年9月19日火曜日

『シルヴィ、から』 22

 複声レチタティーヴォの連続のみから成るカンタータ叙事詩
 [1982年作]   

 (第十五声) 3

 (承前)

ときおり編み物の手を休めてシルヴィはわたしを見つめた。わたしは彼女の座っている柱からやや離れて、いろいろに場所を替えて、立ったまま描いたり、宿舎前の舗装された小道にじかに座って見上げるようなかたちで描いたりしていたが、そういうわたしになにかを懇願するように顔を向けるのだった。
そのような時、なにかをわたしに訊ねたいのは確かなようだったが、どういうことを訊ねたいのかはその時々によって違っていた。彼女もわたしのように、必ずしも自由に使えるほどこの地の言葉に慣れてはいなかったので、いちいち言葉にはしなかったが、おりおりの願いだけはどうにかわたしに伝えようとしていた。
例えば、ある時は、姿勢を大きく変えてもいいかという問いを彼女の眼差しに見たように思ったので、軽く微笑みながら頷くと、シルヴィは息を大きく吐いて体の向きを変えた。ある時は、わたしの目とスケッチブックとの間を彼女の視線が彷徨っているのを見たので、手まねきをすると、わたしの傍らへと絵を見に来た。また、ある時は、わざわざわたしに許可を求めてから、編み棒の一本を取りに行った。
このように、シルヴィは、わたしが彼女を描いている間はけっして勝手に動こうとはしなかった。彼女を描くためにわたしが昼下がりの幾時間を、他ならぬシルヴィによって支配されてしまったとすれば、そのようにわたしのことを支配するために、シルヴィはわたしに見かけ上支配されることを許していた。わたしと目が合うたびに、彼女は微笑みを浮かべたので、それはわたしたちの時間の中で幾度とも知れぬほどになったが、そうした折々の微笑みに、わたしは彼女への自分の従属を確かめるのだった。
時々、どうしてシルヴィはこんなに微笑みをよこすのだろう、とわたしは思った。はじめて会ってから、せいぜい三日ほどにしかならず、互いに深く知りあえるほどの会話を交わしたわけでもなく、また、なにか告白めいた言葉が交わされたわけでもなく、そもそも、わたしにあっては、相手をどう思っているのか自分自身に確かめることもしていないのに、どうしてこれほどにシルヴィは、微笑みでなにかをわたしに開いていてくれるのだろうか。彼女の国の人々というのは皆こうなのだろうか。誰にでも、知り合った人にはこうやって微笑むのだろうか。少なくとも、わたしは、知り合いのひとりぐらいには成れたということなのだろうか。
他になにを語る必要があるだろう。
稀にこの地の若者たちやシルヴィの連れの娘が来て、話をしたり、あるいはわたしの友人が来てわたしの描くところを覗いたりし、そうしたことが長く続くこともあったが、わたしにとっては、誰ひとり、何ひとつ、気にさわることはなかった。なにもかも、この国の空に浮かぶ雲のようにやってきては、また、去って行った。風に揺れる木の枝葉のように、一時、ざわざわとしては、やがて、再び静まっていった。かぎりなく長く続くかとさえ思われる、いささかの倦怠も心に生じることのない時間が、ゆっくりと、本当にゆっくりと、わたしの鉛筆の先をすり抜け、シルヴィの作っていく編み目のひとつひとつから洩れ落ちていくのだった。この時間の流れを、どこで断ち切ったのだったろうか。いや、断ったのではなく、どこで永遠へと流れを向かわせたのだったか。どのようにして、とりとめなく散ってゆく時間を、けっして拡散することのない永遠の玉の中へと封じ込めたのだったか。
そうだ、シルヴィがあの時、ちょうど彼女に近づいたわたしに、今度は正面から顔を描いて、と頼んだのだ。
わたしは描こうとした。しかし、彼女の顔を、納得のいくように紙の上に定着させる力が、まだわたしにはないことを程なく思い知った。
わたしは彼女に、ごく自然な調子で言ったものだった。
だめです、うまく描けません、あまりにも美し過ぎるから。
この言葉に、シルヴィは、口元やまなじりを絞って、わたしの心を震わせる雲の薄紫の切れ端のような恥じらいをその表に浮き上がらせた。
ありがとう、とシルヴィは言った。
すべてが、時間を超えた玉の中へと収められてしまったのは、まさに、この時のことだ。この永遠の玉の中で、シルヴィはいつまでも「ありがとう」と言うだろうし、編み物を続けもするだろう。いつまでも、あの場所にふたりで居続けるだろうし、友人はいつまでもわたしの絵を覗いていることだろう。永遠に時計は昼下がりの時刻を示したままで、また、宵闇の染み初める頃を指したままでもあるだろう。わたしの頭上にはひとつも雲がなく、また、同時に、白い綿雲がいつまでも居続けもしていることだろう。

(続く)




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