ー人は食べられなくなったら終わりでしょう?
ーそうしたら終わりと覚悟すべきでしょう。
ー無理に食べさせようとするべきではないでしょう…
ー胃瘻までして…
話に
そんなことが上っているのが
聞こえてくる
人体の終わり頃のことについて
無理に生き延びさせないとか
いろいろなチューブを繋いだりまでしては…とか
いろいろ言われるようになったが
死に臨んでの“さっぱりさ”の近頃の好まれようも
エネルギーのあった昭和の頃に比べれば
結局は文明の衰亡の表われかとも感じられる
切ったり張ったりチューブで繋いだり胃瘻したりと
まだまだまだまだと生にしがみ付いていたり
まだまだまだまだと生き延びさせようと努めていたり
そんな昭和人たちの往生際の悪さに対して
平成の“さっぱりさ”流行りは
これもまたひよわな格好付けの一種というものか
これはこれで
この国の悪い癖で
やはり時代の型に大挙して嵌って行っているだけ
という気もする
衰えて死ぬ時というのは
本人が自分をコントロールできなくなる時で
最期の最期ともなれば体臭も頭皮頭髪臭もモワッと漂い
目やに鼻くそ食べかすの掃除もできなくなるのはもちろん
糞尿まで垂れ流しとならざるを得ないので
そんな時間を少しでも減らそうと心を砕くというのも
要するに小心者の薄っぺらな格好つけに過ぎないのではないか
きれいにさっぱり死のうなどというのは
死体さえ残さずに一瞬で炎と散る特攻を希求する心のようで
じつは何にもまして忌むべき汚ねェ精神の代表のように感じる
関係のない話のようだが
ちょっとした偶然から昨日や一昨日
あれやこれやと死に関わる画像や映像を立てつづけに見た日々だっ た
三島由紀夫の斬首後の口のゆがんだ頭部写真ばかりか
首のない胴体の切断面写真までが
いまではネット上でいつも簡単に見られるのに気づいて
矯めつ眇めつ長い時間見入ってしまったばかりか
南米のギャング同士の抗争で捕まった若い男が
敵ギャングのメンバーに鉈で両腕を切り落とされ
次に脚を膝のあたりから切り落とされ
それから鶏肉や豚肉を切り分けるように肩をぶつ切りにされて
生きたままだんだんと殺されていく記録映像や
さらには生きた子牛を熱湯に投げ込んで
もがくのを煮殺ししていき皮を剥いでいく映像や
やはり子牛や子羊の頭にガンを撃って次々殺していき
子牛肉やラム肉の市場向けの商品にしていく経過の映像などだった が
ついでに見つけたギロチン処刑の歴史映像では
フランス革命時に比べればもっとコンパクトなギロチン台のまわり に
異様な雰囲気で民衆が集まって処刑の一部始終を見ている写真が多 く
そうした写真が「誰々の死刑」というキャプションの付された
絵ハガキにもずいぶんなっていたりもして
こんな絵ハガキを送ったり送られたりというのが
十九世紀から二十世紀のフランス文化の一部でもあったのかと
これはこれでずいぶん感心させられたりもした
こんなことが起こり続けの人類という破壊機械のさなかにあって
ー人は食べられなくなったら終わりでしょう?
ーそうしたら終わりと覚悟すべきでしょう。
ー無理に食べさせようとするべきではないでしょう…
ー胃瘻までして…
などとは
また
なんと閑雅な
安全地帯でのおしゃべりであることか
と思われてしまうので
も
あった
0 件のコメント:
コメントを投稿