2018年8月4日土曜日

その程度だけでも

 


    われ山に向かひて目を挙ぐ
       わが救ひはいづこより来るや
              詩編第121



たまたまなんだけど
それに
いろんな場合でなんだけど
平気で
“愛”っていうことばを使っているコピーを
いくつか見て

あゝ、馬鹿な連中
って
思ってしまう

この単語は
ふつうに高校や大学を通過してきた人なら
教養科目のどこかで
いろいろと定義や問題を聞かされてきたたぐいのひとつだし
仏教概論なんかの教室に出れば
これはまず執着を意味するってことは
いやでも聞かされてきている

世間が
高校の倫理や
大学の教養課程をさぼった連中で成り立っているっていうのは
まぁ
むかしからの常識だけどね

でもさぁ
と思うわけよ
ふつうに今の社会でふつうの食事をして
ふつうに生きてる連中が
“愛”って叫ぶのって
なんなん?って

じぶんの口に入る鶏豚牛羊魚など
平気で殺戮し続けるシステムの中に生きて
ガザでパレスチナ人を虐殺する連中に最新鋭の武器を提供し続けて
自国の中でも社会保障をどんどんどころかグングン減らして
障害者保障まで徹底的に減額して
勝手に生きてみろ生きられるなら!フン!的政策をしてる政府を
平気で野放しにしてる連中が
ジャランとエレキギターを鳴らして
世界的レベルになんて達しない歌をがなり立てたり
アートとかちまちま名づけてちっこい商品を量産して
アーティストでしょ
アーティストよねあたし
って甘ったれて
“愛”だろ
“愛”
ってんだから
せこいよねぇ
さびしいよねぇ
わびしいよねぇ

“愛”って
ローマ字にするとaiだから
ぜったい
言いはじめるぞ
AIは“愛”です!って
AI化は“愛”の実現です!って

そうして
すでに
AI屠殺場は世界じゅうにできているわけだから
AI処刑台とか
AI処分場
AI処理室とかばっかりに
地球上は
なっていくだろうさ

われら地上では殺戮者でしかあり得ない種族ながら
すこしでも
自分に対する嘘はやめておこうヤ
っていう
ことさ

“愛”じゃなくて
せめて
“無関心”
“冷血”
ぐらいの自己認識をしておこうよ
そういう自己評価をしておこうよ
その程度だけでも
ほんのちょっと
まっとうでいようよ



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