火焔型土器をずっと見ているが
ずっと
見えなさを
見させられている
ゼンマイのような
流水のような
力強い曲線の流れを追い続けるうちは
土器全体の把握ができない
土器全体の
文様のエネルギーを掴もうとすると
ゼンマイのような
流水のような
力強い曲線の流れは追い続けられない
宇宙と細部
全体と個
両者を同時に生きるには
どうしたらいいか
火焔型土器の作り手は
これを明確に意識していた
と
わかる
この土器の形式は突然現われた
という説が有力らしい*
この様式が
先行する諸様式から準備されていくのは
系統的に説明しづらいのらしい
縄文時代の発想の
一般と特殊
そして
ふいに現われたひとつの特殊が
たちまち一般を染め上げて行った思想史・様式史の一齣を
夢想してしまう
むろん
そんな夢想になど呑まれはしない
火焔型土器をずっと見ている
ずっと
見えなさを
見させられている
*小林達雄「勝坂式土器様式圏と火炎土器様式圏の対立」
(佐原真 ウエルナー・シュタインハウス監修 独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所編集『日本の考古学』 上巻、 学生社、2007年)
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