2019年9月30日月曜日

どうでもいいようなリンクでも



数日前は、男には過去に属する。しかし、十年も前の過去でも、告白した瞬間には、女はそれを現在の事柄と受止めてしまう。
                  吉行淳之介『暗闇の声』



結局のところ
FacebooktwitterInstagramで薄く繋がっている人たちは
友でも知りあいでもなく
道で通りがかりにチラッと眺めあった程度の
二度と会わないような人たち

二度会っても
三度は会わないような
三度会っても
四度は会わないような
何度会っても
会っても会わなくてもいいような
会社の他の部署の
どうでもいいような人たち

やはりLINEで繋がっているかどうかだけが
知りあいの範疇に入ってくる
たった1分だけ
30秒だけ
話しただけであっても
IDを教えあったかどうか
あれは大きい

とはいっても
LINE繋がりだって
数ヶ月もやりとりがなければ
関わりはぜんぶゼロになるのが現代日本の常識だから
数週間に一度くらいは
どうでもいい情報ながら
相手が興味なくもないかなぁ
というリンクを
わざわざ
送ってやったりしている
わざわざ

ところが
これは決まって女性たちなのだが
どうして
あんなリンクを送ってくるの?
とか
誰にでも送っているわけじゃなくって
あえて
私宛だけに送ってくるの?
とか
聞かれることがあって

めんどうになって
以降
一切送らなくなった人が何人もいる
中学校以来の知りあいには
さすがに
ごくたまにでも
と思って
ひと月ふた月に
いっぺんほど
どうでもいいようなリンクを
送ってみているが

どこかで
せっかく知りあったのだから
すっかり切れてしまうのもさびしいかな
と思って
どうでもいいようなリンクでも
けっこう
内容は吟味して
送っているんだけれども

わからないのかなあ
リンクくらいしか
あなたには送るものがないんだってこと

ぼく自身のことばも
ぼく自身の生活のことも
もちろん
ぼくからの誘いも
あなたには送る気など
とうにないんだっていうこと

それでも
すっかり切ってしまうのもなんだからなあ
どうでもいいようなリンクでも
送ってやっているんだけどもなあ
って
いうこと




2019年9月29日日曜日

まるごとジャブリー派じゃね?




イスラム教理の各派を復習し直しながら

ムルジア派は
神の愛と善意を強調
カダリー派は
人間は自己の行為に責任があるとする
ジャブリー派は
人間は自己の行為に責任がないとする
ムゥタズィラ派は
理性に基づく神学を築き
アッラーの属性は神の唯一性と両立不可能性であり
予定説は神の正義に反するとしてそれらを否定
アシュアリー派は
現在のイスラム教正統派信条をさせる厳格な形而上学的教義を形成
……

などと
まとめをしてみたりするうち

あ、そうか
関西電力とかって
ジャブリー派ってわけだな

などと
付け加えたがってしまうところが
現代日本の悲劇
っつうか
情けなさ
って
感じかね

つぅか
関西電力だけじゃなくって
ニッポン
いつのまにか
まるごと
ジャブリー派じゃね?




倫理や正義や愛がどこまでも深く蔵する偽善と汚辱と裏切りと腐臭と汚泥を


  
思考を使うのなら
じぶんが使う思考に絡めとられてはいけない

ことばを使うのなら
じぶんが使うことばがたえず仕掛けてくる罠に
かかってはいけない

倫理について
正義について
愛について
なにかしら言ったり行為したく思うのならば
それら
倫理や正義や愛がどこまでも深く蔵する
偽善と汚辱と裏切りと腐臭と汚泥を
今の瞬間を爆破する
絶好の道具にできなければならない

結局
おまえ自身がどうしようもない悪人であることを
しっかり認めろ
ということ




真性の悪魔であるわたくしからの挨拶




   お前は空の星よりも商人の数を多くした。
    旧約聖書・ナホム書

 悪魔のように誠実
 ヘンリー・ミラー


グレタ・エルンマン・トゥーンベリを批判する人びとは
愚劣で
この世の闇そのものであり
悪そのものであり
非人間的であり
知的にも倫理的にも劣った者たちであるらしい
そう断罪したがっている人びとがいっぱいいるらしい

そう断罪したがっている人びとは
グレタ・エルンマン・トゥーンベリを批判する人びとを
きっと
霊的にも
魂的にも下の下だと断罪したいのであろう
清らかで聖なる天使的な人びとなのであろう
生き物の命を奪わないような善の権化なのであろう
すでにアセンションしてしまったか
これからアセンションするのであろう人びとなのであろう

わたくしは現代の地上に舞い降りて人類を見続けている
真性の悪魔である
悪も愚も劣も闇も非人間的なものも
すべては
わたくしのもの

そういうわたくしが彼女の姿を凝視し
彼女の声を凝聴し
彼女の語った内容を凝思して
いろいろ感じるところ
思うところ
見抜けたものがあるが
わたくしはそれらについてこの世の言語に乗せようとは思わない
わたくしは真性の悪魔であり
悪も愚も劣も闇も非人間的なものも
すべては
わたくしのもの
である
がゆえに

グレタ・エルンマン・トゥーンベリと
そのシンパたちが
もしじぶんたちの思想や言葉に誠実ならば
地球環境を救うためにはそれを妨げる人間たちを
情け容赦なく処分しなければならない
グレタ・エルンマン・トゥーンベリが発言したように
もはや一刻の猶予もない
もはや手をこまねいている暇はない
もはや地球破壊者たちの偽善的な儲けの手口を見逃してはおれない
処分せよ
殺せ
破壊せよ
ジャコバン派のように
スターリンのように
毛沢東のように
ポル・ポトのように
日本赤軍派のように

じぶんたちの思想と言葉に誠実であれ
発言したのだから実行せよ
あなたがたは
善であり
天使であり
神の側のものであり
なによりもガイアの御使いなのだから

現代の地上に降臨した唯一の最大の悪魔であるわたくしから
グレタ・エルンマン・トゥーンベリと
そのシンパたちに
物質も地上のあらゆる権威も権力も価値も超えた者どうしとして
挨拶を贈る


わたくしは現代の地上に舞い降りて人類を見続けている
真性の悪魔であるゆえに
悪も愚も劣も闇も非人間的なものも
すべては
わたくしのものであるゆえに




人間というものの悲劇


ラグビー
ずいぶん知的なゲームだってことは
素人ながらに
ボーッと見ていてもよくわかる

あれだけ激しく
ぶつかり合い
もみ合って
そうして
じぶんにも相手にも
なるべく怪我を負わせないように
ぎりぎりの配慮をし続けるところに
知的なゲームの真骨頂がある

あんなにでっかい図体をしながら
ラガーマンはみな冷静だが
知性と心とからだをうまく協働させねばならない
理想的な行動のフィールドなのだろう
ラグビーというのは

地上でフルに生きるのは?
という問いに対する
端的な答えが
ラグビーにはある気がする

政治家にも
あれだけの肉体を要求すれば
ぜんぶが奇跡的に
変わっていくかもしれないけれども
そういうのが
ムリなんだ
どうしようもなく
ムリなんだ
というところに
たぶん
人間というものの悲劇がある






他者として見続ける


「原民喜って
「原爆詩人だろう?

「それはそれで
「価値
「あるんだろうけど
「原爆のこととかばっかり
「詩で
「読ませられたくは
「ないんだよね

満員の通勤電車や
値上げや
社会保障の歴然たる後退や
巷での人心の荒廃を証すような光景や……
そういうものに痛めつけられ続けの
からだや心の持ち主たちとしてみれば
そうも言いたくなるんだろうと思う
日々のふつうの生活のほうが
現代人には
よっぽど原爆だからね
ミニ原爆を落され続けているんだ
からだは正直なもので
現代日本から被曝を受け続け
ガンになる
心臓病になる
脳障害になる
臓器がどんどん痛められていく

でも
原民喜にはこんな詩があるんだ

わたしはあそこの空に見とれてゐる。今の今、簷(のき)近くの空が不思議と美しい。一日中濁つた空であつたのが、ふと夕ぐれほんの一ところ、かすかな光をおび、淡い青につつまれてゐる。病み呆けたはての空であらうか。幻の道のゆくてであらうか。あやしくもかなしい心をそそるのである。*

どうだ
ちょっと
思ったりする

これなら
現代から被曝を受け続けの被災者たちもピンとくるだろう
これが原民喜だぞ
ちょっと
思ったりする
簷の近くの「あそこに空」に見とれて
その「不思議と美しい」さまに
「淡い青につつまれてゐる」さまに
そそられ続けてしまっている
原民喜

もっとも
じぶんなら
最後の三文は省いてしまうだろう
思ったりはする
これらがすべてを駄目にしてしまうから

わたしはあそこの空に見とれてゐる。今の今、簷(のき)近くの空が不思議と美しい。一日中濁つた空であつたのが、ふと夕ぐれほんの一ところ、かすかな光をおび、淡い青につつまれてゐる。

しておくだろう

ここに
時代のちがい
経験のちがい
芸風のちがい
美意識のちがい
などは
歴然と現われてくる

しかし
じぶんとのどうしようもないちがいのなかに
息をしていた他者は
他者として
見続ける

全的な交流も交感も理解しあいも
未来永劫
あり得ない他者として
見続ける


原民喜「夕」