2019年9月4日水曜日

アーメン



    世間虚仮 唯仏是真
     聖徳太子



人間がなにかを執拗に主張することに傾いていく風景は
見ていて
ほんとうに面白い
闘牛や闘鶏や闘犬の醍醐味に似ているかもしれない

人間の場合
客観的にもそれなりに筋が通っているとはじめは見えていた論理が
敵対する主張や批判やチャチャ入れとぶつかっていくにつれ
どんどん歪んで不正確な屁理屈になっていくところが
観戦側から見れば
やはり最高の山場である

手頃なコロセウムとしてはtwitterという闘技場があり
大小さまざまな闘技がつねに行われているが
より面白い格闘を見逃さないようにしようとすれば
適切な勘と観察でフォロー相手を見つけ出し続けなければならない
政治論議や社会論議ともなれば
対立する右/左双方の
あるいは
そうした旧套の対立構造を高みの見物するかのような
超越を装いたがる系統の
最も愚かで激越な言辞をぽんぽん吐く連中こそを
絶好の薬味としてフォローするに如かず
いつの間にかアカウント内は
現代社会の愚者の見取り図のようになっていく

やれやれ
ときどき村上春樹ふう=団塊の世代ふうの嘆息もつきたくもなるが
現代社会に疲弊している「私」?的なそんなポーズも
煙草の一服がほうぼうで禁止されてしまった今の世の中では
ちょっとした休息の身振りとして
それなりの気晴らしにはなる
なかなか効果的な定型となっているとはいえる

愚者のうちの歳若い者が
よく
異性を探すために=交尾や交雑のために文化的な身振りをしたり
品格や優しさを気取ったり
情報
というよりも
要は単語の収集と単語間のもっともらしい連結網作りに
猫が小蠅を追いかけるようなぐあいに
星野源のような狭量なまなざしになって努め
知性とか理性というお定まりのレッテルで呼びたがり
呼ばれたがるものだが
あれと結局おなじことだろうか
他のテーマも論理の作り方もポジションの取り方も
そればかりか価値観も
あまりに無数
あまりに多種多様で
コスプレ衣装なみにお好み次第
お好きなのをお選びあれ
という中で
よりによってあるポジションを選び
ある主義や価値観を選び
そうした軸のまわりでブンブンからだをまわして
必死に主張論難弁護論駁批難ゴッコを展開したがるのは
これも
人間の脳に組み込まれているいくつかの基本欲望のうちの
ひとつというわけだろうか

アーメン





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