「原民喜って
「原爆詩人だろう?
「それはそれで
「価値
「あるんだろうけど
「原爆のこととかばっかり
「詩で
「読ませられたくは
「ないんだよね
満員の通勤電車や
値上げや
社会保障の歴然たる後退や
巷での人心の荒廃を証すような光景や……
そういうものに痛めつけられ続けの
からだや心の持ち主たちとしてみれば
そうも言いたくなるんだろうと思う
日々のふつうの生活のほうが
現代人には
よっぽど原爆だからね
ミニ原爆を落され続けているんだ
からだは正直なもので
現代日本から被曝を受け続け
ガンになる
心臓病になる
脳障害になる
臓器がどんどん痛められていく
でも
原民喜にはこんな詩があるんだ
わたしはあそこの空に見とれてゐる。今の今、簷(のき)近くの空が不思議と美しい。一日中濁つた空であつたのが、ふと夕ぐれほんの一ところ、かすかな光をおび、淡い青につつまれてゐる。病み呆けたはての空であらうか。幻の道のゆくてであらうか。あやしくもかなしい心をそそるのである。*
どうだ
と
ちょっと
思ったりする
これなら
現代から被曝を受け続けの被災者たちもピンとくるだろう
これが原民喜だぞ
と
ちょっと
思ったりする
簷の近くの「あそこに空」に見とれて
その「不思議と美しい」さまに
「淡い青につつまれてゐる」さまに
そそられ続けてしまっている
原民喜
もっとも
じぶんなら
最後の三文は省いてしまうだろう
と
思ったりはする
これらがすべてを駄目にしてしまうから
と
わたしはあそこの空に見とれてゐる。今の今、簷(のき)近くの空が不思議と美しい。一日中濁つた空であつたのが、ふと夕ぐれほんの一ところ、かすかな光をおび、淡い青につつまれてゐる。
と
しておくだろう
と
ここに
時代のちがい
経験のちがい
芸風のちがい
美意識のちがい
などは
歴然と現われてくる
しかし
じぶんとのどうしようもないちがいのなかに
息をしていた他者は
他者として
見続ける
全的な交流も交感も理解しあいも
未来永劫
あり得ない他者として
見続ける
*原民喜「夕」
0 件のコメント:
コメントを投稿