2019年9月29日日曜日

他者として見続ける


「原民喜って
「原爆詩人だろう?

「それはそれで
「価値
「あるんだろうけど
「原爆のこととかばっかり
「詩で
「読ませられたくは
「ないんだよね

満員の通勤電車や
値上げや
社会保障の歴然たる後退や
巷での人心の荒廃を証すような光景や……
そういうものに痛めつけられ続けの
からだや心の持ち主たちとしてみれば
そうも言いたくなるんだろうと思う
日々のふつうの生活のほうが
現代人には
よっぽど原爆だからね
ミニ原爆を落され続けているんだ
からだは正直なもので
現代日本から被曝を受け続け
ガンになる
心臓病になる
脳障害になる
臓器がどんどん痛められていく

でも
原民喜にはこんな詩があるんだ

わたしはあそこの空に見とれてゐる。今の今、簷(のき)近くの空が不思議と美しい。一日中濁つた空であつたのが、ふと夕ぐれほんの一ところ、かすかな光をおび、淡い青につつまれてゐる。病み呆けたはての空であらうか。幻の道のゆくてであらうか。あやしくもかなしい心をそそるのである。*

どうだ
ちょっと
思ったりする

これなら
現代から被曝を受け続けの被災者たちもピンとくるだろう
これが原民喜だぞ
ちょっと
思ったりする
簷の近くの「あそこに空」に見とれて
その「不思議と美しい」さまに
「淡い青につつまれてゐる」さまに
そそられ続けてしまっている
原民喜

もっとも
じぶんなら
最後の三文は省いてしまうだろう
思ったりはする
これらがすべてを駄目にしてしまうから

わたしはあそこの空に見とれてゐる。今の今、簷(のき)近くの空が不思議と美しい。一日中濁つた空であつたのが、ふと夕ぐれほんの一ところ、かすかな光をおび、淡い青につつまれてゐる。

しておくだろう

ここに
時代のちがい
経験のちがい
芸風のちがい
美意識のちがい
などは
歴然と現われてくる

しかし
じぶんとのどうしようもないちがいのなかに
息をしていた他者は
他者として
見続ける

全的な交流も交感も理解しあいも
未来永劫
あり得ない他者として
見続ける


原民喜「夕」 





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