2021年2月28日日曜日

と軍需産業界

  

バイデンがシリア空爆を指示したが

爆弾は1発80万円ぐらいだからなあ

あまり儲からないかもしれないなあ

せっかく期待してたのに心配だよなあ

と軍需産業界

 

いやいやいや

これから1万発は落させるから

そう心配しないようにと言うバイデン

ホントにやってくれなきゃね

と軍需産業界

 

オバマやヒラリーの時なんか

カダフィの石油利権を奪うため

国連の反対も無視して1万回もリビア空襲

20万人を殺したよなあ

と軍需産業界

 

あのぐらいやってもらいたいねえ

そうでないと

なんのための民主党政権だか

わからなくなっちゃうじゃないか

と軍需産業界

 

せっかくアサンジが20万通のメールを暴いて

オバマとヒラリーの罪状を露呈させたものの

メインのマスコミは必死で陰謀論扱いに仕立て上げ

ふたたびこの世の春が舞い戻ってきたよ

と軍需産業界

 

ご老体のバイデンは夜7時には就寝しないと

翌朝には起きることもままならぬから

まあまあ初のインド系女性大統領誕生も近いだろうさ

そしたらさらに空襲をバンバンババンしてくれるさ

と軍需産業界





だあれも

  

春になるのに

夏の

蝉時雨のことなど

思い出したく

なったり

冬の

(あれは

(どこの山の

(友だちの小屋の

(庵だったか

燃やしている炭の

ジワーッという

音なき音を

蘇らしていたりして

 

いつのまにか

生きのびているのは

わたしひとりに

なってしもうたよ

 

あれらの時間も

あれらの場所も

もう

だあれも

知らん

 

だあれも






開いてみようとさえ思わない

 

 

しずけさや

清浄さや

 

底知れない闇の奥での

ようやく

なにか大事なものと出会えそうな感じや

 

あるいは

薄い靄が流れていく山路で

人生で出会ったこともないような

とほうもなく淡いなにかを

ふいに掴んだかのような感じや

 

そんなものばかり

書かれても

最後にはやっぱり

飽きて来ちゃうんだよね

という

ぶあつい詩集も

あったな

 

ぜんぶ読んだけれど

もう

すっかり忘れてしまった

 

すっかり忘れてしまったけれど

もう一度

読み直そうとは

思わないな

 

開いてみようとさえ

思わない





こんな言葉ならべを

  

 

だれにも求められていない言葉ならべを

こうして

してみているだけだから

なにかを他人にどう伝えようかと

悩むことは

ぼくにはない

 

そもそも

なにか使えたかった人たちは

もう

みんな死んでしまったし

 

それでも

言葉をならべようとして

言語野と呼ぶのか

脳の言語担当のあたりを起動させはじめると

なんらかのイメージを伴った言葉や

イメージより物語っぽいなにかを伴った言葉や

ずいぶん曖昧にしか覚えていない言葉などまでが

目に見えない意識の網に引っかかってきたり

すり抜けていったりする

 

そんな時間が

いちばん楽しいのかもしれない

だから

だれにも読まれないのがわかっている

こんな言葉ならべを

飽きもせず

いつもいつも

続けてきているのかもしれない





関係代名詞

  

翻訳本を読んでいて

一ページの中で

名詞の前に

二行も三行も修飾がつく部分が

一箇所や二箇所でなく

いっぱい出てくるとなると

さすがに

いやになってしまう

 

悪い訳ではない

 

悪いのはなにかといえば

名詞の前に

ながながと修飾をつけるような

現代日本語が悪いのだ

 

関係代名詞

人工的にでも

そろそろ

作れよ

現代日本語のバカ野郎!






コロナどころではない忙しさ


 


昔から北朝鮮に関するニュースが嫌いで

はじめのうちは故意に

だんだんと

無意識のうちに

ニュースを見ないですっ飛ばすようになった

ラジオやテレビの場合は

自動反応のように聞かなくなったり

消してしまう

 

くだらないからだ

 

日本と北朝鮮と他の国々が絡んでの

八百長プロレスのようになっているのがわかってるので

アナウンサーやコメンテーターが煽ろうにも

インチキ臭すぎて見ていられない

もともと日本の陸軍が根幹を作った国で

大日本帝国の真髄を反日の仮面の底に深く保存しようとしている国なので

報道されるような対立や反目はぜんぶ嘘でもあるので

 

2011年以降は

そこに原発事故処理のニュースが

くだらないニュースの筆頭として加わった

アンダーコントロールできているとか言っていたやつがいたが

ぜんぶ嘘っぱちで

これからまた起こりそうな福島周辺の大地震で

どうしようもないほどぶっ壊れて放射能汚染が広がるであろうこと

もはや手の施しようもなく待つ他なくなっている始末

 

2020年はさらに

コロナやワクチンについてのインチキ報道が加わった

PCR検査の発明者がワクチン検出に使ってはいけないと念を押しているのに

増幅率を増やしてコロナ煽りを盛大にやらかし

証明もされていない仮説提示論文をご大層に扱って

肝心の本質部分はうやむやのままで

世界的なでっち上げをやらかした連中の発言には

もう夏前からついて行けなくなった

長い時間をかけて試行錯誤して安全性を構築するべきワクチンを

コロナ用にだけアッという間に作ってしまうことの

そもそものトンデモさやありえなさを

医療関係者とかいう連中が問題視しない時点で

これは想像した以上の巨大犯罪が進行中だとわかり

アホらしいと思いながらも

これは人命に関わることだから

批判的追跡だけはし続けたが

飽き飽きした

コロナとか

ワクチンとかいう言葉の

音の響き自体に

 

全く聞かないようにするようになったし

コロナと見れば

自動的に

目はニュースから飛びようになった

おかげで

古典の読書がはかどることになったし

コロナを使って人類支配を企んだ連中の研究の一助にと

ナチスの第三帝国研究まで読むようになって

個人的な関心事は

もう

コロナどころではない忙しさ






ぬか漬け

  

ぬかみそで漬物をすると

意外といそがしい

漬けっぱなしにすれば

塩っぱくなりすぎてしまうから

適当なところで出さないといけなくて

深夜になってから

ぬか床から野菜を出して

洗って他の容器に移したりする

とり出したら取り出したで

またすぐに次の野菜を漬けないと

なんだかもったいない気がするので

その作業も続けてすることになり

これがまたいそがしい

 

漬けてから何時間経ったかも

いつも気にしていないといけない

野菜によって

取り出すべきところが

どのあたりが適当なのか

なかなかわからなかったりする

食べてみて

悪くはないし

じゅうぶん漬かっているものの

もう少し漬けておいたほうがいいかも

と思い出したりすると

またまた気分がいそがしくなる






ふと思いついて書架に向かい

 


春のひと夜が朝と戯れている

アルフレ・ド・ミュッセ『ポルティア』

Une nuit de printemps joue avec le matin.

Alfred de Musset “Portia

 

 

 

つい

さっき

ふと思いついて書架に向かい

アルフレ・ド・ミュッセの詩集を手にとってみた

 

(そういえば

フィリップ・ジャコテPhilippe Jaccottetが2月24日

95歳で死んだのを

思い出し

同じ棚にあるジャコテの詩集も取ろうか

と思ったが

今回は

ついに取らず)

 

フランス語の古典詩集は

ほとんどすべて持っていて

書架に並べてあるが

ミュッセの詩集は

もう何年も手にしたことがない

それどころか

はずかしながら

正直に告白すれば

ちゃんと読んだことがない

読もうとしたが

どうしても読み進められない

あのスペイン趣味やイタリア趣味にうんざりしてしまう

彼の最初の詩集の冒頭にある長詩Don PaezPortia

もううんざりしてしまう

ヴィニーやユゴーならば読める

面白くないといえば面白くなくもあるあのゴーチエも

まだ読める

ネルヴァルなどはけっこう読みやすい

彼お得意の神秘主義的意味合いを読み解いていくとなれば別の話だが)

しかしミュッセは

しかしミュッセは

 

ところが

つい

さっき

ふと思いついて書架に向かい

アルフレ・ド・ミュッセの詩集を手にとってみたら

あ!

と驚いた

読める!

読めるのだ!

彼の語句並べの雰囲気や

フランスロマン主義のひとつの傾向であるスペイン・イタリア趣味が

もう妨げにならない

もともと

詩や文を読む際

内容など一切興味を持たずに

単語から単語への並びぐあいしか見ない読み方をするので

喜怒哀楽だの恋だの愛だの生だの死だの……

さまざまなテーマなど一切外しながら語だけを読むが

いま

そういう読み方に立って見るミュッセの詩句は

くっきりと明晰な言葉づかいが美しく

饒舌に長く語り過ぎているようなところさえ

じつは表現にもどかしさはなく

すこぶる簡潔に語が継がれていっているのがよく見え

ながい時間を経て

はじめて

ミュッセの価値に気づけた気がする

それも

ふいの気まぐれから

ひさしぶりに詩集を手に取ったことで

まるで

後藤明生の小説の構造を支える

予期せぬ突発事に

よりでもしたかのように

 

詩集の序言で

19世紀文学研究者のパトリック・ベルティエが

「ミュッセの詩は読めたものではない?

「そう言われてきたし

「いまでもそう言われている

と書いていて

彼がこのように書くのも

フローベールがミュッセを馬鹿にし

(ミュッセが青春につきものの神経症を抜け出せなかったために)

ボードレールがミュッセを馬鹿にし

(「洒落者たちにとってのこの師匠、子どもじみた彼の恥知らずな言動…」)

という歴史があるからでもあるが

盛名赫々たるフローベール川やボードレール川を遡って

あるいはそれらから逸れて

やはり偉大な19世紀文学史家のピエール・モローに言わせれば

「老いるすべを知らなかった子ども」であり

「綱渡り芸人としての人生」を送ったミュッセの

150年ほど放擲され続けてきた

文字並べの魅力そのものに

 

つい

さっき

ふと思いついて書架に向かい

アルフレ・ド・ミュッセの詩集を手にとってみたら

遭遇してしまった!

逢着してしまった!





2021年2月27日土曜日

クリーニング店

  

引っ越しなら何度もしたが

そのたび

安くて質のよいクリーニング店を

見つけるのに難儀した

質がよくても

平気で他店の三倍もする値段をとる店も

あったりして

いやな気分を隠しながら

支払ったりする

 

いま住んでいるところでも

高い店をいくつか試したあとで

ようやく

そこそこの値段の店に

落ち着いた

 

ひとつ前の住まいの周辺では

クリーニング料金は比較的安かったが

その前の住まいの近くでは

いちど

バカ高かった店に引っかかった

 

比較的安い店を近所に見つけて

けっきょく

そこに持っていくようになったが

そこのオバサンは民謡好きで

小さな店先で

ときどき民謡をかけて鼻歌していた

オジサンのほうは

なにかポリシーありげで

なんやかや

主張することがあった

ファブリースはねエ

衣類の繊維がかたくなっちゃって

ダメなんだよねエ

よく

言っていた