小野茂樹
あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ
上田三四二
死はそこに抗ひがたく立つゆゑに生きてゐる一日一日はいづみ
日本ではじめての…云々
新型コロナワクチン接種…云々
というニュースを見ていたら
東京医療センターでの
医療従事者数人に対するもの
あゝ 東京医療センターね
駒沢公園わきの
世田谷区に入り込んだ目黒区のあの場所
末期ガンでエレーヌが死んだ病院
もう十年前の2010年10月31日朝のこと
その夜明け前の当直の医員が
こちらへの電話連絡に
失敗し続けたので
30年来支えあい続けてきた彼女の臨終には
とうとう間にあわなかった
緊急連絡用に
家の固定電話の番号も
携帯電話の番号も
ちゃんとおなじ用紙に書き込んで提出し
病院には知らせてあったというのに
危篤状態に陥って
もう保たないかもしれないと判断され
朝の三時半頃から
医師は携帯電話に数度
電話してきていた
しかし就寝時には
電波による睡眠障害を防ぐため
携帯電話はいつも書斎に
置いて充電しておくことにしていたので
何度鳴っても寝室までは聞こえない
書斎は廊下の向こうにあって
寝室からはいちばん遠く
ベル音も大音量にはしていないので
起きている場合でも
遠くでなにか鳴っているとしか聞こえない
家の電話がはじめて鳴ったのは
朝の六時頃になってから
同じ書類に固定電話番号も記入してあるのに
どうしてこちらにはかけなかったのか
深夜も携帯は肌身離さないでいるとでも思ったのか
出かける準備をしながら
もう間にあわないと思ったので
そういう運命なわけかと思ったので
無理に急ぐのはやめてきれいに髭を剃り身仕舞いをした
死ねば一日じゅう忙殺されるはずだと思ったから
大通りでタクシーを捕まえ
環状線をぐるっとひと回りして
病院へ急行してもらったが
それでも40分50分はかかる距離だった
車中で彼女の友人たちにメールや電話をした
緊急病室に入ったのは朝の7時20分頃
約10分や15分ほど前に事切れていて
やはり臨終には間にあわなかったが
昨夜からもう意識はなくなっていたというから
あまり残念だとも思わなかった
当直だった若い医員は科長がいない時など
数ヶ月前からエレーヌを見るようになっていたが
エレーヌはこの医員を疑っていた
この人はなにかよくない感じがするとたびたび私に言っていた
最期の最期でこうなるのを予知していたのかと思った
末期ガンの彼女の治療や療養に一年半添い続けてきて
悪くなったりよくなったりのくり返しを
何度も見続けてきていて
ちょっとしたバランスの崩れでも死にかねないとはわかっていたの
この朝の死は驚くべきことでもなかったとはいえ
家の電話にかけてこなかったのはいつまでも腑に落ちず
数ヶ月経った後でも科長に電話して尋ねたが
大ごとにして追及したいというわけではなかった
訴えたいのならば然るべき形式で出してもらいたいと科長に言われ
電話の件は担当医師の落ち度だとも聞いたのでそれでよしと収めた
あゝ 東京医療センター
悪い病院だと思っているわけではまったくないが
エレーヌの死をめぐってはこんなことのあったところで
名を聞くたびにどうしても
思い出さざるを得ない病院ではある
そういえば入院中のエレーヌが転倒して
頭に軽い傷を負って絆創膏が必要になった時に
大げさな包帯などしか備えがなくて看護師たちに怒鳴ったことがあ
病院なのにちょっとした怪我のための絆創膏もないのか!と
駒沢公園駅近くの薬局にわざわざ絆創膏を買いに出たものだった
あゝ 東京医療センター
悪い病院だと思っているわけではまったくないが
エレーヌの入院をめぐってはこんなことのあったところで
名を聞くたびにどうしても
思い出さざるを得ない病院ではある
そういえば悪くなってもよくなってもどんな病状の時でも
エレーヌに出される食事はいつも同じ内容で
病気の種類の違う他の患者たちの食事もどれも同じで
食べるものを通して体を治そうという考えは一切ない病院だった
おかずは不味かったがなぜか白米だけはうまく炊けていた病院だっ
あゝ 東京医療センター
悪い病院だと思っているわけではまったくないが
エレーヌの入院をめぐってはこんなことのあったところで
名を聞くたびにどうしても
思い出さざるを得ない病院ではある
2010年の夏にはエレーヌは瀕死の一時期を乗り越えたので
車椅子に乗せて病院の裏の林に連れて行ったりした
いつからある樹々かわからないが
太い大きな樹が生えている一角があって
木漏れ日やそよ風や空気の暑さを楽しんだりした
あゝ 東京医療センター
病院はしょせん病院でどうにもならないところがあると了解しては
エレーヌの入院をめぐってはこんなこともあったところで
名を聞くたびにどうしてもあれらの樹々や木漏れ日とともに
思い出さざるを得ない病院ではある
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