都出しまだ夏衣うすきほどしばし吹きそふ富士の秋風
後鳥羽上皇「元久元年七月十六日御会 宇治御幸」
この国の根本のところを信じなくなったのは
ある時点のある光景から
というような
くっきりした境目のあるものではなくて
誰もがきっとそうだろうが
いろいろな疑義や憤慨が徐々に積み上がっていった結果のことで
精神の中でいつのまにか
「信じない」という濃霧が晴れなくなってしまった状態を
「信じなくなった」と
とりあえず自分で呼ぶようになった時から
ということに
なるのだろうと思う
しかし
わたしの場合
この国はもうダメだ
と断定することになったひとつの風景がある
それは政治の風景でもなければ行政の作業の風景でもなく
東京メトロの駅構内の風景である
東日本大震災が起こった後で
東京メトロは駅構内の照明点灯を減らした
当初の理由は電力不足ということで
緊急性の少ない箇所の点灯を減らす措置の一環だったと思う
現在ではあの電力不足も虚偽だったとわかっているが
当時では大震災後の緊急時でしかたのない措置と見えた
電力不足の問題はいつか公式にも解消し
東日本大震災から何年も経って
電気使用制限などすっかり聞かれなくなった頃になっても
しかし
東京メトロは駅構内の蛍光灯の間引き点灯を止めなかった
場所にもよるが点灯を二分の一や三分の一ぐらいにしている
東京メトロのあらゆる駅に降りて調査したわけでもないから
どのくらいの割合で間引き点灯をしていたのかわからないが
わたしが最寄り駅として利用していた南北線王子神谷駅はひどかっ
大震災後の数年間だけではない
そこを去る2017年まで王子神谷駅はそのままで
間引き点灯の薄暗い駅構内のまま7年が続いていた
電力不足という理由から開始した間引き点灯なら
電力不足が解消された時点で止めないといけない
間引き点灯を続けてみた結果
これまで電灯を付け過ぎていたと気づいたということなら
理由をかえて堂々と間引き点灯を続けると公表すればいい
しかし運賃には駅構内の点灯費用も入っているのだから
その分を値引きしてもらわないといけない
同じ運賃を取っておいて光熱費を自分たちは勝手に削減して浮かし
客からは同じ料金を取り立てるというのは詐欺でしかない
東京メトロのこういう詐欺行為については
日頃の利用中にあまりに目立つので
この国がダメになっていく風景としてはっきりと脳裏に刻まれたが
その後に続いた無意味なペットボトルキャップ集め(
レジ袋有料化からさらにNOレジ袋キャンペーンなども
国が
というより
社会がダメになっていく風景として意識に刻印されるようになった
レジ袋ナシになってからは誰もがマイバックとやらを強いられ
おかげで万引きが凄い量で増えたという話を聞くが
それを憂えたり嘆いたりする以前に
客の側の当然の抵抗としてわたしなどは受止めてしまう
わたし個人は30年以上前からマイバック使用者で
買い物して20分も歩いて帰る場所に住んでいたため
レジ袋なるものでは不便で不確かでしょうがなかったので
厚手の頑丈な大きなマイバックをいつも2枚は準備して買い物に行
だからレジ袋ナシになってもなにも困らないし
なにをいまさらと思うばかりだが
それでもレジ袋は家庭ゴミを出す時に必需品になっている時代なの
買い物の時に使わなくても持って帰ってゴミ出し用に使っていた
それが急になくなるとやはりかなり困るので
結局100円ショップに行って大量に買い込んでくることになる
スーパーでレジ袋を渡さなくなっても同量のレジ袋は使われ続ける
人が家庭からゴミを出す以上はゴミを入れる袋が必要で
大きさや便利さから言ってレジ袋は買わざるを得なくなる
自治体推奨の大容量のゴミ袋だっていいが夏場では溜まるまでに腐
だいたい一戸建て住まいと違って集合住宅のゴミ出し場では
大容量のゴミ袋は逆にひどい場所ふさぎで迷惑である
いろいろな要素が複雑に絡みあった結果としての
バブル期に成立していったレジ袋使用ゴミ出し法だったわけで
少なくとも40年の歴史のあるそういうゴミ出し法を
一気に廃止するという暴挙には口では言えないほどの怒りを感じた
わたしは1980年代までのスーパーでの買い物風景や
家庭ゴミ出し方法をよく覚えている
スーパーではレジ袋はまだ普及しておらず
買い物をするとスーパーのロゴが印刷された紙袋に入れてくれた
いまでもアメリカ映画で見る上が開いた長方形の紙袋である
晴れている日はいいが雨の日などには
あれを抱えて帰宅するのはけっこう難儀だった
紙だから雨にあたるとだんだん溶けて穴が開いてくる
袋が崩れ出すギリギリで家にたどり着くのなど
当時を生きた人なら誰でも経験があるだろう
レジ袋が広く使われ出したのはいつかよく覚えていないが
1983年に下北沢で日常品の買い物をするようになった時には
駅前にあった大丸ピーコックではレジ袋をくれたのを覚えている
住んでいたのは池ノ上駅近くだったので
買い物をしてから約二十分歩いて帰るのだった
たくさん買うとレジ袋の紐は指の関節に食い込んでくる
他の買い物袋を考えないといけないと思ったのもそのせいである
それを週に何度か経験しながら6年ほどは池の上に住んだ
レジ袋びいきでなどまったくなかった
ゴミ出しでもレジ袋を使い始めたのは1980年代のはじめ頃か
はじめは紙ではないものにゴミを入れて出すなんて
自然破壊もいいところではないかとわたし自身は思った
しかし周囲は平気でレジ袋で出すようになり
ゴミ置き場にはレジ袋が積み重なるようになった
それまではどのようにゴミを出していたのかといえば
ゴミバケツにスーパーの紙袋に生ゴミを入れて積み重ねて出したり
あるいは生ゴミをそのままゴミバケツに入れて出したりした
当然バケツの底には生ゴミの汁が溜まって臭くなり
そのままにしてちょっと時間が経つとウジが湧いたりさえするので
賢明なる主婦たちはゴミ収集車が行った後はバケツを水洗いして
しばらく干してからまた使い始める
そんな仕事は子供の役割分担になるのでどの家の子もやったものだ
一人暮らしの人なら自分でこれらの家事をしないといけない
家族暮らしならともかく一人暮らしやふたり暮らし程度の規模でも
大きなゴミバケツを買わないといけない面倒臭さや
週に何度かゴミ収集車が朝に回収しに来るのに間に合うように
「ゴミを出す」気苦労をし続けるというのは
当時なら誰もが共有していたものだった
令和時代に入っての突然のレジ袋廃止キャンペーンが
生活というものを全くわかっていない者による企画だったと
これ以上にないほど明瞭にわかることは
レジ袋がスーパーで使われ出す以前にスーパーでは
無料で紙袋を多量に備えていてそれに入れて商品を客に渡したこと
完全に忘却していた点である
ものを売る商売で客に全く包みもしないで品物を渡すことはない
レジ袋を廃止させるのならば無料の別の包みを準備させねばならな
有料の特別仕様の包み紙や袋では困るのである
というかあまりに当たり前なそんなことの準備を店舗に強いずに
なにがレジ袋廃止キャンペーンかと思って憤慨やるかたなかった
店舗のほうも店舗のほうでキャンペーンに乗じて
自分たちの側の包装経費の削減に努め
商人としての最低限の配慮を怠り出したのが令和時代だった
令和という言葉が不吉だとあれだけ言われただけのことはある
その後のコロナ煽りの成り行きがもちろん続くわけだ
日々なにがしかの買い物をして
レジ袋を廃止するならするで無料の紙袋に入れようともせず
紙や新聞紙で包みもしようとしないスーパーのあり方を見るにつけ
この国はもうダメだ
もう終わったのだ
この国の根幹は信じられなくなった
と思い続けている
べつにいちいち怒鳴りもしないし
嫌みも言わないが
わたしは周囲の人間のすべてを完全に捨てている
実のところ周囲にいる人影はもう人間ではないと本当に思っている
ここまで確信させるようになったこの10年ほどの日本の劣化はす
政治が悪い
安倍晋三が悪い
菅義偉が悪い
ではなく
ごくふつうのニッポンジンの感性思考常識夢希望などのすべてが
ダメなのだ
大病の人間たちがどんなふうに死ぬか
わたしは実地に見てきたので知っている
人は死ぬまで生きていて
生きているかぎり反応したりしゃべったり笑ったりするのだが
ある瞬間にハタッと死ぬのだ
ある瞬間にその人の身体は死体に変わっていく
ついさっきまで目の前にいたその人がハタッといなくなる
身体のかたちをしたもぬけの殻がそこに残り
それはまだ生暖かいが
どんどんと温度が下がって死体らしさを完成させていくのである
今のニッポンジンは
もうすぐ
そういう状態になると見える
まだ反応したりしゃべったり笑ったりしている
しかし
ある瞬間にハタッと死ぬ
ハタッ
が
本当に来る
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