2021年8月23日月曜日

厖大なツイートを読み続けていると

 

 

アカウントを10以上も持って

東日本大震災よりこのかた

10年以上かけて蓄積してきたフォロー先の数は

それでも数千に過ぎないはずだが

ひとりのフォロー先から無限に新たなフォロー先が拡大していくの

一日に意識の中を走らすツイート量は厖大といっていい

 

昨今の流行テーマのうちの

「ワクチン」

「コロナ」

covid-19

などをめぐっては

アカウントごとに

ワクチン大好き!打って!打って!打って!派が集まったり

ワクチン危険!ワクチン打つな!反ワクチン!派が集まったりして

なんだかスポーツ試合のようで壮観

両派混戦しているアカウントをダーッと流し読みしていると

もはや一大サーガでも見ているようで

ちょっとやそっとのドラマどころではない

 

コロナワクチンの途方もない危険を伝える海外情報も

この頃はグッと精度を増し数も増し

それらが医師たちやウイルス学や免疫学の専門家たちから出されているので

この時期にあって

平気でワクチンを打ったり打とうとしたりしている連中には

♪お元気ですか?

♪そして今でも……

などと「みずいろの手紙」のあべ静江ふうに

呼びかけてみたいような気もするが

今回のワクチンが引き起こす可能性の高い血栓症や血管損傷を思え

後続の歌詞にある

♪みずいろは涙色……

のほうを送ってやったほうがよいように思う

もはや使うべき墨の色は薄墨であろう

 

ツイートには

論争的なものばかりでなしに

しっとりと

家族の死を伝える静かなものもある

 

 

「色んな方からメッセージを頂いてありがとうございます。
ワクチンが悪いとは思いません。
ただ、コロナに感染したくなくてやっとワクチンを接種出来たのに

こんな結末になるなんだったら

打たなければこんな事にはならなかったと思います。

今更ですが。

 高熱が続き食欲もなくなり入院しましたが良くならず、

凄い痩せてしまいました。
 肺も白くなり敗血症と言われていましたが

本人の希望もあり延命はしませんでした。
死因は敗血症で、最期は間に合わず、約2ヶ月の入院で本当に早かったです。
まだ信じられません。

葬儀は納棺師の方に最期のお支度をしてもらったのですが、

今、父は新たな旅に出て、今その旅の途中なんだなと思います。
長い長い旅に出たんだと

いつか、遠いいつかに、また父と出逢えたらと思っています。

誰が悪いとか、何が悪いとか、こうした方が良いとか、

ワクチンを接種した方が良い、悪いとか色んな考えがあると思いますが、

なにが正しいのかわかりません。
私自身ワクチンを接種したのは自己責任でした。
たまたま運が悪かったと言えばそうですが、

それ以前に他の選択肢はなかったのかなと思います」

 

最後に出てくる考えは

やはり「運」なのである

「だって人間だもの」

とでも

付けくわえておきたくなるが

人間ではないような者が企んでいる壮大な儲けの企みや

地上の人減らし政策の結果や

込み入ってこんがらがった責任回避の複合体から

ヒョイと

くじ引きの玉のようにこぼれ出る

「運」

という認識で

ぜんぶを済ませられるなら

まあ

死んでいく者も

親しい者を失う者も

神のレベル

だと

言えようか

 

これに対する他のひとのコメントに

こんなものもある

 

「はじめまして
本当に『悔しい』という思いしか...
私も先日身近で接種後に心不全で亡くなった24歳の医療従事者がいて

まだ実感が湧きません...

ただただお父様のご冥福をお祈りするかりです」

 

昨今のマスメディアでよく見る

決まり文句のひとつ

「ただただ~するばかりです」構文を使って

とにかくも

感情の激しさを済ましていくさま

過ぎ越しをしていくさまは

ほとんど宗教的だが

ようするに激怒したり嘆いたり報復を誓ったりする精神力が

ない人々なんだな

とも

見える

 

なんだかなぁ

である

 

原爆の落される広島にいたのも「運」

中国戦線に駆り出されて

中国人の村を襲ってたくさん殺させられたのも「運」

水俣なんかにいて魚を食べて水俣病になってしまったのも「運」

原発からの放射性物質にやられてしまったのも「運」

あれもこれも

なぁんでも「運」で

死んでしまった人には「ただただ~するばかりです」構文を使って

「ご冥福」を祈ることで

とにかくも

感情の激しさを済ましていき

過ぎ越しをしていくのである





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