2022年12月18日日曜日

ジェラール・ビアンション君のAIタブレット

 

 

 

社会学的研究においても、言語の研究におけるのと同様、

われわれがまさにシンボルの世界にいることを、けっして忘れぬこと。

クロード・レヴィ=ストロース『構造人類学』

 

 

 

 

本屋に行くと

なんせ

いろいろな本がいっぱいあるので

なんでもかんでも

読みたくなっちゃうぼくとしては

いつも

けっこうストレスだった

むかし

むかし

 

いまは

もう

そんなことはない

まったく

 

親友の工学博士ジェラール・ビアンション君が

(彼は

なにを隠そう

バルザックが描いた天才医師オーラス・ビアンションの末裔である)

数年前に開発し

ぼくを含めて

世界のごく数人にだけ

提供してくれた

特性AIタブレットを持っているからだ

 

このタブレットの

とにかくも便利で凄いところは

どんな本でも

ぼくのかわりに読んでくれて

ぜんぶ記憶し

こちらが質問すると

本の内容を適切に提示してきてくれるところ

 

たとえば

先月出版された

世界最長の小説『苔の世界にアランが踏み込んでからの雪国』の

要を得た概要や

各章のクライマックスや

なんせ7億人を超すといわれる登場人物たちの

細かく張り巡らされた人間関係についてのわかりやすい説明や

これまでの世界文学にまったくなかったような名場面の数々や

アラビア語翻訳とスワヒリ語翻訳で

どんなニュアンスの違いが出たのかなど

タブレットにむかって質問するだけで

サッと答えが返ってくる

 

各巻800ページ以上で

巻数が598巻もある

この世界最長の小説

『苔の世界にアランが踏み込んでからの雪国』についてさえ

こうなのだから

もっと短いふつうの本や

論文や解説書や論説関係や

どんな外国語のものだって

その時々に必要な話を

ぼくにとってわかりやすく親しみやすい口調で

サッと語ってくれるのだ

 

本が提供するのは

なにも情報だけではないだろう

なにより

ふかふかの安楽椅子にのんびり体をしずめて

コーヒーや

極上のウィスキーなんかを

わきのテーブルに置いて本を読む時の

他のなにものにも替えがたい

あの快楽は

AIタブレットなどでは得られるわけもない

などと

ケチをつけてくる

読書家さんたちもいっぱいいるが

ぼくのAIタブレットは

くつろいでゆったりのんびりと本を読んでいる気分

ほしいなあ

とさえ言ってやれば

専用の電磁波を出してくれて

ぼくの脳に安楽椅子読書の幻影さえ創り出してくれる

それも

一瞬でやってくれる

 

もう数年前から

大書店ならどこでも

本を買うのはデジタル購入だけになって

たくさんの本が並んでいる棚の前に

常時たくさん浮いているドローンモニターで

内容ページをめくって見て

気に入ったら

購入ボタンをポチッとタッチして買うようになっている

ふつうは

購入した書籍データーを

客たちが自分で持っているデジタル読書モニターで見て読むのだが

ビアンション博士の開発したAIタブレットは

そうした読書モニターの先に

ひとつもふたつも行ってしまっている優れものだ

 

購入した本は

とにかく

AIタブレット自身が読んでくれる

ぼくはよく

こんなふうに

AIタブレット君に聞く

ぼく「さっき買った本、読んどいてくれた?」

AI「もちろん、読んだよ」

ぼく「おもしろかった?」

AI「まあね、でも、今のきみには不用かなあ、あれ」

ぼく「そうかい? おもしろそうだったけどね」

AI「今のきみに有益な行が総ページ582のうちで

たった37行だからね

それを「おもしろい」と見るか

不用と見るか

そこは人間の気まぐれさと揺らぎの中に

いまだに楽しみをちょっと覚えているきみの勝手ではあるけれど

ぼくとしては

ちょっと時間の無駄かも

と思っちゃうね

もし今必要なら、それら37行を読んであげるし

それらの行と本全体との間の正確な意味関係もいっしょに言うけど?」

ぼく「今はちょっと考えることがあるから

後で寝る前に教えてよ」

AIOk、そうするよ」

 

どんな本についても

AIタブレットに入れさえすればこんなふうになるわけで

とんでもなく優秀で

読書スピードのはやい

正確に一字一句まで記憶している

疲れることを知らない秘書が

いつもいっしょにいてくれるようなもので

ぼくはもう

どんな本も読む必要がないわけだ

 

デジタル化データーとして発売されていない

過去の紙媒体の本なんかは

どうするのかって?

それも簡単だ

AIタブレットに

これこれの昔の本が読みたいのだけど

と言いさえすれば

世界中の彼の機械仲間たちや

電線回路仲間や光ファイバー回路仲間たちに一瞬に伝えてくれて

遠い国の図書館の倉庫の奥に一冊だけ眠っている本だって

その図書館のスキャナーが

繊細な指の動きのできるロボットを伴って

サッと出向いていって

サササササとデジタル化してくれて

だいたい1時間もすれば

ぼくのAIタブレット君のところに送ってきてくれる

もちろん

それにかかる費用は払うのだけど

500円以上になることは

まずはない

 

こんなわけで

ぼくはもう

本を読むことはなくなり

それでいて

かつてのどんな頃よりも

厖大な本を読んだのと同じことになっていて

これを便利と言わずして

なんと言わんや

という感じだ

だいたい

本というのは

どんなに細かく読んだとしても

数年も経てば

ほぼ内容の80%は忘れてしまう

AIタブレット君がいてくれることで

読んでもいないのに

厖大な量の本一冊ずつの内容の80%ぐらいは

いや100%といってもいいかもしれないが

つねに利用可能な状態に

しておけるのだ

 

映画にも

クラシック音楽にも

演劇にも

オペラにも

ぼくは人並みはずれて関心があるので

それらについても

似た機能を持つAIタブレットがほしいのだが

これらについては

ビアンション博士と彼のグループは

目下開発中だという

 

映画については

いちばんデジタル化情報が多いことから

最初に開発されそうだというが

出来上がれば

ぼくは

ずいぶん助かることになる

映画を見ないで

見たよりも見たことになるのだから

早送り鑑賞などするより

よっぽどいい

 

演劇やオペラなどについては

ビアンション博士は

だいぶ困惑していると聞いている

というのも

映像化されたものをデジタル情報にするのなら楽だが

これでは

舞台芸術である演劇やオペラの本質を

甚だしく無視した誤った企てになってしまう

舞台や劇場内の立体感の味わいも出せないならば

まったく意味をなさないだろうと

演劇やオペラ好きのビアンション博士は思っているわけで

なかなか

見上げた趣味人ではないか!

彼の思うに

演劇やオペラについては

劇場や舞台のしくみそのものから変革しないといけない

ということだ

舞台上のひとりの俳優のまわりに

少なくとも300個ほどの微細なドローンカメラを常時飛ばし

それらが捉える映像や音から

完全立体コピーを遠方でも作り出せるようにしないと

AI端末での演劇やオペラの実現は不可能だし

そう出来ないのならば

企画はそもそも放棄すべきだと思っているらしい

 

ぼくとして

今のところでは

本を読んでおいてくれるAIタブレットがあれば

十分に満足だ

 

まあ

タブレットというかたちが本当にいいのかどうか

そこはいろいろ考えもする

落さないような取っ手が最初からついているほうがいいんじゃない

とか

ジャケットやチョッキみたいなほうが

いい場合もあるかも

とか

 

しかし

形態についてのそうした議論は

たぶん

いつまで経っても

結論には到らないような気もする






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