2022年12月24日土曜日

人格とはパラノイア


 

辻に立つ祖母がふわりとふりかえりお家がとけてゆくのよと言う

東直子

 

 


 

人間の人格というのはパラノイアそのものだろう

という

ラカンには

うなずいてしまう

 

人格を持っていること自体が

異常者


パラフレーズ

して

いきたく

なる

 

ぐるり

まわりを

遠くを

みまわせば

だれも

かれも

精神的には病人でしかなく

そういう者たちの集まったものでしか

あり得なさそうな

社会

 

だから

人間の社会では

なにか

まっとうな

健康的な

未来や

方向性や

解決や…

なんて

そんなもの

あり得なさそう

 

唯一

可能なのは

自分でない厖大な他人たちが

つぎつぎガス室(という象徴)に送り込まれていくのを

毎日毎日

直視しながら

自分だけはガス室(という象徴)のまわりの掃除を

目立たぬように黙々と続けて

いま維持している身体の維持を

どうにかこうにか

行なうだけの

こと

 

平和な暮しにおいてさえ

絶望的な(というのは出口のない…ということ)

精神そのものの構造から来る

奸計が

張り巡らされていて

誤魔化しや

とっさの逸らしなどを

終わりなく

くり返しながら

あたかも正常であるかのような精神状態を

なんとか維持していくほか

ない

 

フロイトが

外出するのを恐怖する女性

例を

出していたね

 

人に

服のことで笑われるという恐怖に囚われ

外出できなくなった

女性

 

精神分析していくと

幼い頃

商店の老店主に

服の上から

触られたことがあった

そうな

 

老店主は

その時

ニヤニヤと

笑いを

浮かべていた

 

このことが

彼女にとって

性的な外傷となって

残った

 

体験そのものの記憶は

抑圧されたが

記憶のかわりに

症状が

形成されることに

なった

 

服の上から

触られた体験と

ニヤニヤ笑われる

という体験は

「服」を「笑われる」

という症状として発現することになった

 

この程度で済んでいれば

症状の軽減は楽だが

こういう性的外傷のさらに奥に

もっと深い体験が

潜んでいる場合もあって

その場合

分析して浮き上がってきた性的外傷自体が

象徴となって

蓋をしてしまっていることも

ある

 

こんな体験や

これについての記憶の抑圧や

さらに奥底に

もっと深刻な体験があったり

もっと巧妙に

抑圧や忘却が練り込められていたり

して

これらが多く集まって

ひとりの人間

なっていたりする

とすれば

人間どうしが

「表面的」以外に関わりあうのは

ほぼ

不可能

といって

よい

 

おたがいの

抑圧を

ちょうどいいぐあいに

解きほぐし続ける

時間も

忍耐も

手管も

ないのだから

少しでも深入りしあえば

複雑でこんがらがった精神の糸玉のなかに

底なしに迷い込んでいくほか

なくなる

 

これが

「素晴らしい」とか

「希望に満ちた」とか

「無限の可能性に溢れた」などと

時々

無責任に

うそぶく者たちのいる

人間世界

であり

社会

 

どうぞ

頑張って行ってください

 

生きのびていって

みて

ください

 

しか

言うことばは

ないねえ

 

なんとも

ねえ







0 件のコメント: