2022年12月20日火曜日

激流渡りの実践者

 

  

ジェータ林にいたブッダに

ひかり輝くひとりの神が近づき

言葉をかけた*

 

「きみよ、あなたは激流をどのようにして渡ったのですか?」

 

「友よ、わたしは、立ち止まることなく、あがくことなしに、激流を渡りました」

 

「きみよ。では、あなたはどのようにして、立ち止まることなく、あがくことなしに激流を渡ったのですか?」

 

「友よ、わたしは立ち止まるときに沈み、あがくときに溺れるのです。わたしは、このように立ち止まることなしに、あがくことなしに激流を渡ったのです」

 

 

大げさな言い方をせずとも

ブッダは

ひじょうに重要なことを言っている

 

「立ち止まることなく、あがくことなしに」の重要性であり

配慮すれば

だれにでも不可能でない方法の伝授である

 

「立ち止まるときに沈み、あがくときに溺れる」ものだと

彼は教えている

なので

「立ち止まることなく、あがくことなしに」が

唯一のやりかたであり

最良のやりかたとなる

 

とはいえ

神が問うた肝要な点について

ブッダは答えていない

 

「あなたはどのようにして、立ち止まることなく、あがくことなしに激流を渡ったのですか?」

と神は問うた

 

それに対し

「わたしは立ち止まるときに沈み、あがくときに溺れるのです。わたしは、このように立ち止まることなしに、あがくことなしに激流を渡ったのです」

とだけ

ブッダは答えている

「どのように」そうしたのか

そこを答えていない

 

ここでブッダは

これ以上の秘技も秘訣もない

「どのように」などと問わず

激流を渡り続けながら習得せよ

と伝えている

わたしは

そう受け取る

 

各人各様に

「立ち止まることなしに、あがくことなしに激流を渡」れ

 

とにかく

「立ち止ま」れば「沈み」

「あが」けば「溺れる」のが

わたしたち

激流渡りに出た者たちの本性であり

激流の本性である


激流のなかで

「立ち止ま」らず「あが」かぬ

渡りかたを

そのつど

そのつど

創り出しつつ渡っていけ

 

激流渡りの実践者の

実地の経験に根ざした

ひじょうに現実的な指導であると

思える

 

 


 

*『ブッダ 神々との対話 サンユッタ・ニカーヤⅠ』(中村元訳、岩波文庫、1986)、p.14






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