2021年7月10日土曜日

たいして価値はない

 

 

ものを表現するということの価値をぼくはまったく認めないが

どうしてかっていうと

だれでもなにかを表現しようとすると

すぐに「威張り」に落ち込むからさ

ひとよりなにかを知っているとか

ひとより便利なやりかたを知っているとか

ひとより優雅な時間を生きたぜとか

ひとより恵まれちゃったぜイエイどうだとか

ひとより寂しいし悲しいぞ寂しさや悲しさなら負けないぞとか

なに言ってんだ空しさならオレこそ一番だってんだとか

絶対にどれかに陥っていく

これらは見ていて楽しかったり役立ったりもするけれど

だからどうだってんだ?と考え直せば

べつにどうっていうほどのこともないのだから

価値があるかどうかと言われれば

まぁないんじゃないのかなやっぱりとなる

むかし貧乏詩人の代表みたいだった山之口貘って詩人が

当時の詩人の世界的王様みたいだったヴァレリーさんでも

じぶんの詩は読んでくれちゃいないだろうと面白いこと書いてたが

まぁヴァレリーさんの詩でもマラルメさんの詩でも

ボードレールさんの詩でもシェイクスピアさんの詩でも

天下の太陽さんやお月さんは読んじゃいないだろうと思うよ

それなのに堂々たるあの輝きようなんだから

読むとか知るとかいうのもたいして価値はないってわけさ





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