2021年7月17日土曜日

ついこの間は「意識のなさ」が主体となっている夢を見たが



精神分析の夢判断の実例など見ていると

そこで採りあげられる夢の

あまりの地味さに辟易してしまう

 

「自分」というものと重ねあわせている肉体が

人間のそれであったり

顔を備えていたり

蛸やムカデのような脚を持っていなかったりなどというのは論外だが

せめて

植物と泥と鉱物に複数種の薬剤がかけられている表面を

むしろ内臓としていたり

心や意識にあたるものが空中に分離されていたり

逆に毛髪のたった一本に宿っていたりする

そんな夢が

ほとんど実例として挙げられていないことに

絶望的なつまらなさを感じて

たいてい途中で投げ出してしまう

 

さっき見ていた夢はどこかの大企業の高層階オフィスで

乱交パーティーに興じているオーソドックスなものだったが

もちろん「私」は興じている人体の側ではなく

質のいい木材の大きな会議用テーブルで

部分的に分離した派遣意識として部屋の電灯スイッチであったり

ゴミ箱の中の握りつぶされた紙コップだったりした

 

ついこの間は「意識のなさ」が主体となっている夢を見たが

それでいてこの「意識のなさ」は

決して「無意識」でもなければ意識の「喪失」でもなく

スイトピーの花々やちょっと豪華な蘭の花々が

脇の下の血管からゾワゾワと無数に咲き出てくる痒みのほうに

微妙に「自我?」っぽいものがあるかのようで

「窓のない窓」から壮大な滝が間近に見えていて

その瀑布の向こうには歴史的に言えば中世のどこかの山村があるの

なぜか感知しているというのが

この何年かではいちばん心惹かれた夢だったかもしれない





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