2021年7月15日木曜日

此処でもあればどこでもないところそのものに

 

 

わたしなんぞからすれば

まわりを見まわすと

どいつもこいつもバカにしか見えない

 

なにかを信じていたりする

なにかを大切に思っていたりする

そういうのをバカという

信じるべきものなどないし

大切なものなどない

 

もちろん

世の中ひと付き合いも避けようがないから

なにか大事なものを共有しているふりもするし

なにかをいっしょに信じているふりもする

天皇は日本文化の保存のために大切だなどと

わたしの場合は平気でペラペラ言うが

その後に他のジャコバン派と会えば

天皇を除外しないとなんにも始まらんよと

またいくらでもペラペラ言う

言語と思いとを一致させる意義を全く感じないので

踏み絵の一切通用しないタイプなのである

 

こういう人間はいったいどこの誰に近いのか?

つらつら思い見るに

ヨーロッパ18世紀人なんだろうと思う

平等とか博愛などというものはからっきし信じない

自由だけを追い求めるタイプである

こっちの思想や感性が面白いと思っても飽きると

対立するそっちの思想や感性にサッと移る

それだってすぐに色褪せるから

そうしたらまたあっちの思想や感性に移る

どれもこれも永遠なものなどなく

その場その場で旬を味わえばいいだけのものだから

あっちこっち移っていくのは当然でもある

 

ほうぼうでサン=ジェルマン伯爵と呼ばれて

めんどうだからそう呼ばせるままにしてきたが

べつに名前なんかどうでもいいのだし

だいたいひとつやふたつの名前などすぐに飽きる

サドもカザノバもディドロも面白い奴らだったが

18世紀にはもっと面白いぶっ飛んだ自由人が

ほんとにあっちこっちにいっぱいいたものだった

そういう連中が物好きに集まって

革命などという見世物をやらかしたが

連中はなにせ飽きやすいので

しばらくしたらすぐに離れてしまって

今度は反革命を組織してみたり

あちこちで虐殺をやらかしてみたり

ぜんぶ捨ててどこかの古びた塔に籠ってみたり

当座使用の肉体を早々に捨て去って

はてはアストラル体どころか

コザール体あたりまでも捨て去って

遠いところというより遠近の消滅した

此処でもあればどこでもないところそのものに

なってしまったりもしたもの





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