住んでいる下宿は
むかしは旅館として使っていたという
ローテーブルにむかって座り
うとうとしていたら
玄関のベルが鳴ったので
頼んでいた宅配が来たのがわかった
自分宛に来た荷物のはずなので
住んでいる二階の部屋から
すぐに下りていく
部屋のすぐ脇に階段があり
そこを下りると玄関だ
それにしても
こんな時間に配達してきたわけか…
と思いながら
玄関の掛け時計を見る
8時を指している
朝の8時だ
玄関からちょっと離れたところに大家の部屋がある
あまり声や音が響かないといいな
と思いながら受け取りをしていたが
大家はやっぱり
起き出てきてしまった
大家のとなりの部屋の住人の中年男も
起き出してきた
大家も中年男も禿頭なので
なんだか朝の光景にふさわしい
「うるさかったですか? ぼく宛の荷物なんで」
と言ったら
「いいや、大丈夫。荷物かい?」
「まだ寝る時間じゃないしね」
などと大家も中年男も言う
ここでようやく
ぼくは奇妙なことに気づく
ふたりの認識では今
朝の8時ではなくて夜の8時らしいのだ
たしかに玄関の外は夜の暗さだ
どうしてぼくは朝の8時だと思っていたのだろう?
ローテーブルに着いてうとうとしていたからか?
夢を見ていたからか?
ぼくはさらに奇妙なことに気づく
うとうとしていたローテーブルから立ち上がり
玄関へと下りていこうとする時
頭の中では朝がたの4時前だったのを
部屋の中の時計で見ている
こんな早くに…という思いと
もう4時近くになってしまっていたか…という思いが
ぼんやりと混じりあいながら
ぼくを現実に引き戻しつつあった
朝の8時でもなく夜の8時でもなく
もし本当に朝がたの4時近くなのだとしたら
宅配が来るわけもなく
大家や中年男も簡単には起き出てもこないだろうに
と思いながらしっかり気を取り直すうち
たしかに
ぼくは玄関前に立っていて
玄関の引き戸は開いていて
ぼくの背後には二階に上がる階段もあるのだが
ここがいったいどこなのか
ぼくにはまるでわからないのだ
自分が住んでいる下宿だという思いがあり
ここはむかし旅館として使われていたという思いもあるのだが
どうしてそう思っているのか
自分でもわからない
玄関の掛け時計は
さっき見た時そのままに8時を指しているのだが
自分の中では朝がたの4時近くだという感覚があり
開いている玄関口の外にあるのは
朝の8時ではもちろんなく
夜のの8時のものでもない静かな闇で
自分が内部で感じているように
朝がたの4時に近い闇の空気感がある
ここが今住んでいる下宿で
むかしは旅館として使われていたという物語が
意識のどこかにあるにはあるのだが
どうしてこんなところにいるのか
ここがどんな住所で
どんな経緯でここに住むことになったのか
まったくわからないまま
開いている玄関口を前にして
今ぼくは立っている
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