2021年7月14日水曜日

まったく情けないよ、この人は



外を歩く時にマスクというものを全く使わないわたくしであるが

それでも時々はNWOの奴隷身分の民草たちの愚かさに

ほんのちょっと合わせてやるふりをしてやるために

昨年来5枚以下の不織布マスクを使ったこともあるのであるからし

一般奴隷民草たちはあれを一回こっきりで棄ててしまうようだが

あんなものに金を費やすのもアホらしいので何度も洗って使ううち

昨年から使い始めたものがこの七月になってもまだフックにかけてある

たぶん20回から30回は洗って使い直すようにしているが

やわらかくなってなかなかいい馴染み感を出すようになってきて

たしかにちょっとフガフガしてくるものの在原業平の例のうた

からごろも着つつなれにし妻しあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ

のような「着つつなれにし」感がずいぶん出てきて

逆に愛着が感じられてくるようになったのだから面白い

そうなるとフガフガ感を通り越して繊維分解感が出てきてしまって

もうさすがに使うのは無理だなとなっても棄てづらくなってしまうもので

いつまで経ってもマスク掛け用フックにぶら下がっているようにな

 

そんなある日の暮れ方のことである

一人の下人が羅生門の下で雨やみを待っていた

りすると芥川龍之介の懐かしい『羅生門』になってしまうので

暮れ方だけで止めておくが

そろそろ汚れてきた台所のレンジフードフィルターを替えなければ

と重い心を動かして作業に取りかかることにしたのであった

レンジフードフィルターはちょっと前にはいいものがいっぱいあったのに

最近は値段も高くなったし寸法も微妙にケチケチしてきている

大きさにだいたい合うものを買って磁石であちこちを留めてみるのだが

奥に別に空いている通気口までちゃんと覆うだけの広さがないので

放っておくとそっちの穴のほうには汚れが入り放題になってしまう

そのためいつも流しのゴミ取り用の不織布を切ってそこにあてがっている

その日の暮れ方に思いついたのは

使いようのないまでにフガフガの極まった何枚かのマスクが

レンジの奥の通気口ふさぎに使えるではないかということだった

紐を中に入れて磁石で留めてふさいでみるとやはり上上出来である

こりゃあこれから古い不織布マスクの使い道がちゃんと出来たわい

なかなか楽しい七月のある日の暮れ方のことであった

いつの間にか日も暮れて

外にはただ黒洞々たる夜があるばかりである

 

芥川龍之介は

下人の行方は誰も知らない」などと『羅生門』を締めくくったが

それまで羅生門での出来事をずっと描いてきたくせに

その後のことを「誰も知らない」は

ありゃあ

ないだろう

説得力がない

 

『羅生門』では

カメラは下人に近づいてずっと彼の行動を撮り続けてきているが

じつは最後のふたつの段落のみ

下人からカメラは離れる

下人から蹴り倒された老婆にカメラは寄り

最後からふたつ目の段落ではこのようにエクリチュールは進む

 

しばらく、死んだように倒れていた老婆が、死骸の中から、その裸の体を起したのは、それから間もなくの事である。老婆はつぶやくような、うめくような声を立てながら、まだ燃えている火の光をたよりに、梯子の口まで、這って行った。そうして、そこから、短い白髪を倒にして、門の下を覗きこんだ。外には、ただ、黒洞々たる夜があるばかりである。
 下人の行方は、誰も知らない。

 

門の下を覗き込んだ老婆の視覚の中にカメラは移動したか

あるいは老婆のごく間近に移動して

門の下に見える「黒洞々たる夜」を撮すことになる

 

ロブ=グリエなら烈火の如くに怒り心頭になりそうなカメラ移動だ

小説の語りなど本来徹底的にいい加減に自由なものなのだから

芥川ごときの群小作家の小品にがたがた言ってもしょうがないのだ

それにしても最後の「下人の行方は、誰も知らない」は

見事に無責任な突き放しようで楽しく驚かされる

おまえ、さっきまで羅生門で下人をずっと見続けていたじゃないか

世界は無限に広いというのに好き好んで平安時代の羅生門になんぞ

わざわざ恣意的にカメラを設置して盗撮していたのだから

下人が羅生門から離れて別のところへ行ったというのなら

そっちのほうへカメラを携えて走っていけばいいだけのことなのに

誰も知らない」で済ましちまうんだから

 

まったく

情けないよ、この人は




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