儒学の大成者
佐藤一斎の『言志四録』には
事を処するに理有りと雖(いえど)も、
而(しか)も一点の己れを便するもの、
挟(さしばさ)みて其の内に在れば、
則(すなわ)ち理に於(おい)て
即(すなわ)ち一点の障碍(しょうがい)を做(な)して、
理も亦暢(の)びず。
とある
事を処理する際、自分の方に道理があっても
その中に少しでも、
自分の利益のためにするもの
自分の便宜のためにするという私心があれば
自分の主張する道理に一点の障碍が生じて
道理が真の道理とならなくなる
といった意味だが
少しでも公的な仕事をする際に
利己的な利益を忍ばせてしまうことへの注意を
見事に論じていて
この大儒学者の
繊細な人間観察と倫理観が伺える
育てた門下生3000人には
山田方谷、佐久間象山、渡辺崋山、横井小楠、若山勿堂、
池田草庵、東沢瀉、吉村秋陽、安積艮齋、中村正直、林靏梁、
大橋訥庵、河田藻海、竹村梅斎、河田迪斎、山室汲古、
北條悔堂、森光厚、森光福、楠本端山など
幕末の才人たちがいる
もっとも
幕末期にあっては
西洋を嫌って情報を得ようとせず
防衛や軍事のことを嫌って
幕府側知識人として
時代に相応しい反応をしなかったとも言え
吉田松陰は
「林家、佐藤一斎等は、至って兵事をいふ事を忌み、
殊に西洋辺の事共申候得ば、
老仏の害よりも甚しとやら申される由」
と批判している
とはいえ
儒家の精神を失い尽くした現代においては
少くして学べば、則ち壮にして為すことあり
壮にして学べば、則ち老いて衰えず
老いて学べば、則ち死して朽ちず
などという言葉を集めた
佐藤一斎の『言志四録』は
あらためて
思い出されておくべきだろう
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