たとえば
読むことと書くこと
物質界への積極的な発信を優位に見たがる思考においては
書くことのほうを優位としがちだが
かなり前から
私は
読むことのほうを優位に見ている
読むことと書くこと
を
さらにひろげて
受けとることと発すること
としてみる
おそらく
あらゆる行為において
受けとることのほうが優位に立つ
と
私は
ほぼ断定している
なんであれ
発することは
その時点で視界狭窄と盲目を余儀なくされる
しかし
受けとること
受けとり続けること
最終受けとり者となること
の
豊かさは
計り知れず
受容内容の選択をたくみに外していく術を身につければ
無限の視界拡大と
受容情報の無限増大を
意味する
つかの間の情報集積網でしかない「私」が
いかに複雑かつ多層的な言語体を発しようとも
その貧しさは
「私」の外の無限の情報の海の前では
比べるのも愚かだ
無限の情報の海に
目や耳を開き続けるほうがよい
「私」の外の
無限の情報を受け続ける器でのみあれば
よい
最も重要なのは
堅牢で
巨大で
繊細で
可塑的で
融通無碍に働く器であることだ
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