気ままな詩選を自分の愉しみのために。制作年代も意図も問わず、まちまちに。
フィクションのかたちで表現するのは
いちばん
気に入っている
というか
正確
なにも表現していないことになるのだから
フィクションとは
無
ということで
なにはともあれ
そこに
表現行為が表わそうとするものの実体はないということだから
そもそも
言葉も言語体系も言語行為も
はじめからフィクション
なにを主張しようと
なにを論述しようと
なにを仄めかそうと
はじめから終わりまでフィクション
無の舞踏
ばかりが続いていく
人界
地上
精神という舞台
意識という舞台
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