2025年1月17日金曜日

肉体を持ちつつ無そのものと成り切る


 

 

道元は

見返りを求めないことや

なにかをする際には他の目的のためでなく

ただそのことをするべきだと

たびたび説いている

 

『学道用心集』にはこうある

 

行者、自身のために仏法を修すと念(おも)ふべからず、

名利のために仏法を修すべからず、

果報を得んがために仏法を修すべからず、

霊験を得んがために仏法を修すべからず、

ただ、仏法のために仏法を修す、乃ちこれ道なり。

 

きびしい教えで

自身や名利をあらかじめ捨てておくのはもちろん

果報や霊験さえ求めてはならない

と説いている

 

「ただ、仏法のために仏法を修す」

という行のあり方には

もはや

自分などというものは混じり込まない

 

『正法眼蔵随聞記』の第一の九にも

このようにある

 

夜話に云く、昔、魯仲連(ろちゅうれん)と云ふ将軍ありき。

平原君(へいげんくん)が国に在て能く朝敵をたひらぐ。

平原君賞して数多の金銀等を与へしかば、

魯仲連辞して云く、

只だ将軍のみちなれば敵を能く討(うつ)のみなり、

賞を得て物をとらん為に非ずとて、敢て取らずと云ふ。

魯仲連が廉直とて名誉のことなり。

俗猶ほ賢なるは我れ其の人として其の道の能をなすばかりなり。

かはりを得んと思はず。

学人の用心もかくの如くなるべし。

仏道に入り仏法の為に諸事を行じて代に所得あらんと思ふべからず

内外の諸教に皆無所得なれとのみ勧むるなり。

中国の戦国時代に

斉の国に魯仲連という将軍がいて

よく働いて朝敵を平らげたが

これにたいして平原君が金銀を与えようとしたところ

自分は将軍であるから

将軍として戦っただけのことで

報奨を得るために戦ったのではない

と受けとらなかったという

道元はこの話を使い

同じように仏教の行者も

仏道に入ったら仏法のためだけに諸事を行じるべきであり

それによって

なにかを得られると思ってはならぬ

と説く

仏道だけでなく

他の教えに入る時にもなにも得ようとしてはならぬ

と説く

 

やはり厳しい教えだが

チベットの覚者ミラレパの修業時代に

師のマルパが強いた修行を思い出せば

道元が正確にミラレパたちの精神を継承しているのがわかる

 

マルパはミラレパに

たくさんの石を集めてきて積み上げ

大きな塔を作らせた

出来上がったとミラレパがマルパに知らせに行くと

今度は塔を崩して

石それぞれを元の場所に正確に戻せとマルパは命じる

時間をかけて戻し終わると

今度はまた別の塔を作れとマルパは命じる

石を集めて塔を作っては

壊して石それぞれを元の場所に正確に戻し

それが終わるとまた次の塔を作る

延々とこの行のくり返しがミラレパには命じられた

 

神秘行と魔術行の行者にはわかるだろうが

ミラレパの命じられた行は

諸行が無であるという真理の実践的な習得に絶大の効果があるばかりか

肉体を持ちつつみずからが無そのものと成り切る優れた行である

じつはこの世ではあらゆる人間がこの行を強いられているのだが

人間の集まる人界は価値という虚妄を捏造し

これを共通幻想として意識に染み込ませることで

この世の修行性を見えづらくする性質を持ってしまっている

ミラレパが命じられた行は

こうした人界の虚妄をすみやかに落す効果を持つが

道元の説くのもまったく同じ効果を持つ

無を探求し

肉体を持ったまま無となろうとする仏道においては

道元の教える道しかあり得ようはない






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