2025年1月13日月曜日

散文のくだらなさ

 

 

 

散文というもの

 

文章を書くということ

 

書かれた文章

 

これらも

ほんとうにくだらない

 

言いようがないほど

価値がない

 

それどころか

こころや意識の健康を

ひどく

損ってしまう

 

かといって

白アリ化したニンゲン界では

文章によって

いろいろな情報を流通させることにしてしまっているから

白アリニンゲン界に身を潜め続けるなら

触れないわけにもいかない

 

なので

文章とのつきあい術

必要に

なってくる

 

技術的には

いろいろなことが

教えられている

もっと核心的なことは

書き手を

ニンゲン的に扱わないことだ

 

ニンゲンとしては

単語の並べ手を

受けとめない

 

ただの

単語羅列とのみ

文章は

見ること

 

これだけでも

見えないながらも

相当の被害を

いや

被曝を

避けることができる

 

すべては

ここから始まる

 

次には

ちょっと技術的なこととして

文章は

6行から7行程度の

メモの連続として

扱う

 

カードの

連続

として扱う

 

10行をまとめると

すでに

長すぎる

 

たいていの

文章の書き手には

10行の思考を正しく維持する能力は

ないので

10行の中には

すでに夾雑物が多く混じっている

 

そうした夾雑物は

こちらの精神エネルギーに

かならず損傷を与えてくるので

それに煩わされないように

10行より少ない行数で

毒入りの単語羅列と

つき合うようにするのだ

 

後は

いろいろ

 

経験から

じぶんで工夫したら

よろし






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