いまであれ
むかしであれ
どの時代であっても
その時代特有のいいところもあれば
よくないところもある
「いまはむかし」と呼ぶべき時代の
一端を経験した者としては
いまの時代のよさは
若いひとよりもよほどわかっているが
それでも
いまの世の中が
なにかと
チャカチャカ
セカセカ
コセコセ
しているのは
やはり
あまりいい気がしない
どういうのがいい暮らしかたか
それについての考えは
ひとそれぞれではあろうけれど
その日その日の
けっこう多くの時間を
ぼんやり
のんびり
ぼけーっとしていられる
茫洋としていられる
というのが
いい暮らしかたで
それを許してくれるのが
いい時代で
いい国で
と思っている
そういうふうに思っていると
なにかといえば
スマホやタブレットの端末を携えながら
チョコチョコ
スルスル
トゥルトゥル
やっていないと時代に取り残されるような現代は
いい暮らしかたもできないし
いい時代ではないし
いい国でもない
と結論したくなってしまう
料理研究家の有元葉子さんというひとの
冬のひとりの朝食つくりや
火鉢おこしの動画を見ていたら
わたしの望む意味での
いい暮らしかたを垣間見せてくれる気がして
ちょっとうれしかった
https://www.youtube.com/watch?
これを見て
火鉢で焚く炭は
切り口のきれいなクヌギがいいのだと
はじめて知らされた
木の種類によって
炭の燃え方や火の付き方が
ずいぶん違うのはあたりまえであろうけれど
じぶんで燃やしてみて
そんなことを実地で知っていくのが
いい暮らしかたの
基本であり
極意にちがいない
そんなことは
生活者であるだれもが
もともと
当然に知っていることなのだけれども
そんなことのほうに
暮らしかたの基本があり
いい暮らしかたの唯一の場があるということを
チャカチャカ
セカセカ
コセコセ
チョコチョコ
スルスル
トゥルトゥル
の現代は
強制的に忘却させようとしてくる
うちにも火鉢はあって
チャカチャカ
セカセカ
コセコセ
の生活の渦に巻き込まれ続けたまま
使わないまま
使いこなせないまま
ヴェランダの隅に
置いてあるのだけれど
「いまはむかし」をちょっと知っているわたしには
いつも火鉢のかたわらに座っていた曾祖母の姿があって
キセルを火鉢の端に当てて
吸い終わった煙草を捨てているさまが見える
火鉢の五徳には
いつも小さな鉄瓶が載っていて
お茶に湯を継ぎ足すのに不足はなかった
曾祖母は芥川龍之介の奥さんの文さんと長唄仲間で
芥川さんの自殺の時には
町内の奥さんどうしとして
通夜や葬儀の裏方として助けにも行った
それがどうだということでもないが
火鉢を見ると
そんな話が
やはり
じわっと蘇ってくる
火
といえば
ひと頃むかしまでは
なんといっても
煙草の火で
そして
煙草の煙で
これはもう
日本じゅうの町々の
生活の隅々にまで
こまかく組み込まれていた
子どもには
大人の吸う煙草はいやなものだったし
煙たかったし
臭かったし
いいことはなかったが
それでも
じぶんが吸っても
吸わなくても
毎日のように火を見
煙を見る生活が
この国にはあった
他の国々にもあっただろう
世界中にあっただろう
むかし
大人たちは
なにか大事なことを言ったり
思案したりする時には
マッチをシュッと擦って煙草に火をつけたり
ライターをボッと点して
煙草の先に火を移したりした
火と煙は
人間を一気に
原初の暮らしかたの感覚に引き戻す
それどころか
プロメテウスを現前させる
煙草に火をつける時の大人たちは
プロメテウスに
神託を求めたのかもしれない
煙草の先端が燃えはじめる時の
あの
なんともいえない音を
あなたは
よく知っているか
うんざりさせられるほど
聞いてきたか
そんな問いを
向けてみたい時が
増えてきた
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